トクトル

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トクトルさんの日記

(Web全体に公開)

2008年
09月12日
17:56

ちかってはならない理由とは

今日はも、とても良い秋晴れだった。

湿度もなく、最近の雷と集中豪雨がうそのようだ。

9月に入ってからは、天気のいい日が続いている。

今年の仲秋の名月がきれいに見え、今年も豊作であること

をいのる。

さて、今日は、主・イエス様に祈って、誓ってはならない理由について

書こうとおもいます。

昔、イギリスの哲学者であり、政治家だった、フランシス・ベーコンという方がいた。

彼は、帰納法ということを考えたかたで、物事について、観察や実験をして、多くの属性

のプロセスを振り落すプロセスをとり、その中からふりおとせない、本質を見出した人で

す。

たとえば、厚化粧を無節操とするかどうか、考えたとき、100人の女性と厚化粧の関係

について、考え厚化粧が、本当にすべておかしな行為なのかをしらべたりしました。

この発想によって彼は、人には、偏見と先入観があることを指摘した。

ベーコンは、偏見・先入観について、4つのイドラ=偏見・先入観として私達に教えてく

ださった。

1. 種族のイドラ: 白人黒人問題など、ゆがんだ認識をそのまま正しいものとして認識

してしまう。

2. 空洞のイドラ: 教育や習慣でひとを判断する。 例えば、年をとった人や寝たきり

の老人を自分よりも卑下したり、価値のないものとしてしまう。

3. 市場のイドラ: 実態の正しく伝えていない言葉にだまされ錯覚にとらわれる。

4. 劇場のイドラ: 過去の実証や説を正しいと無批判に受け入れてしまう。

などがあります。

人は生まれた時から、世間の一般常識のようなものを集団生活の中で、知らず

と学んでいきます。

しかし、それが、集団生活の中で、なされないこと柄や、その人の生き様や、さまざま

な世間の人の意識する評価などにより、私達は、主・イエス様に罪を犯すことがあります。

例えば上記で書いた種族のイドラなどにより、インドでも、まだ、人種の差別があったり、

奴隷は、無価値な存在として扱われていたりします。

教会でも、古い誤った風習が多々あっても、劇場のイドラでかかれているように、その風

習をその教会で集団的に常識化した結果に、古い誤ったことを正しいとしてしまうことが

多々あります。

聖書では、主・イエス様が、十字架にかかられ、戒めの律法などを廃棄してくださいました。       
エペソ2:14~16 これは、当時、イスラエルの民は、神の選民となる為のあらゆる

規定をまもっており、その為に神の選民とよばれていました。

しかし、このことにより、異邦人の救いの妨げになってしまう状況もおきました。

割礼や捧げ物のこまかい規定、またヨベルの年や三大祭りなどの日による細かい規定

により、それを守らない異邦人に守らせることにより敵意がしょうじていた。

そこで、主・イエス様は、異邦人の救いの為にこう教えました。

エ:2、14  キリストこそ、私達の平和であり、二つのものを一つにし、

隔ての壁を打ち壊し、15 ご自分の肉によって敵意を廃棄された。

とあります。

しかし、今でもユダヤ教の人達は、主・イエス様を認めません。

なぜならば、空洞のイドラがあるからです。

先入観これこそが邪魔をして、その教えに固執してしまう原因です。

だから、聖書で主・イエス様は、誓ってはならないといいます。

良い誓いもあるのですが、ここでいう誓うとは、先入観や偏見をもたないよう

にすることをさします。

この問題は、羊の門からとおるものは、先入観に捕らわれずにすみます。

一つ一つの出来事について、それが、本質的に罪か、そうでないかを

主に祈り常に心清くあろうとするものは、誓わずにすみます。

マタイ5:34~36
主・イエス様は、私達を一つにする為に前の教えを廃棄してまで、私達を

救う為に神御自身の掟を代えてまでしてくれました。

 
異邦人が、イスエラルの選民のようなことをすることが難しいことを、しっていた

から戒めの律法を廃棄してくれました。

 私達被造物であり、罪びとの私達の為に十字架にかかってくだされました。

だからこそ、主を信じるものは、真理を得て、天国へとみちびかれます。
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