トクトル

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トクトルさんの日記

(Web全体に公開)

2008年
09月05日
21:50

マリアは愛する弟子の

仙人という物語に仙人になりたがっていた農家の百性がい

た。

理由は、単純なもので、人が栄耀栄華しても、死んだらそこま

でとおもった百性の権助は、それで仙人に本気でなろうとする。

もちろん、仙人になる方法なんて、誰もしるよしもない。


けれども、医者の妻に狡猾な人がいて、権助の仙人になりた

いという思いを利用し、奉公させる方法を思いついた。

その方法とは、20年奉公すれば、仙人になる方法を教える

ということだった。

20年ただで、働いた権助は、当然仙人になる方法を医者に聞く。

しかし狡猾な妻は、この権助をさらにだまそうとし、こういいます。

「では、仙術を教えてあげるその代わりどんな難しい事でも

私の云うとおりにするように、そうしないと仙人にもなれず、

20年間また奉仕しないと、仙人になるどころか死んでしまうと。」

この物語では、松の木に登った主人公が、両手を離したと

き、落ちずに仙人になれ、雲の上に登っていったという物語で

すが、これは、ただの昔話です。

私は、これと全く逆の話を聖書で、見つけました。

聖書では、ヨセフとマリアの子が、私達の救世主の主・イエス

キリスト様であるとかかれいます。

教会には使徒信条というものがあり、その一部には、こう書

かれています。主は、精霊によって宿り、乙女マリアによって

生まれたと。

カトリックの教会では、マリアのとりなしの祈りというもの

があったり像を置く教会などもあります。

まさに仙人のようです。

しかし、主・イエス様は、十字架にかかられた時、そばの母

マリアにこういいます。

ヨ19:26 イエスはそばに立っている愛する弟子を

みて母に、「女の方、そこに、あなたの息子がいます。」とい

われたと・・。

この時、母マリアは、愛する弟子の母親になりました。

上記で書いた物語の逆になったわけです。
 
神の母から愛する弟子の親になりました。

私達人は、被造物といわれています。

神の似姿つくられたと。

しかし、マリア様が、主・イエス様を産み、主・イエス様が誕

生したとしても、被造物であることには、代わりないのです。

もちろん、えらい方では、ありますが。

今日では、カトリック教会などに多いのですが、マリアのとり

なしの祈りや像など多々あります。

しかし、主・イエス様が愛する弟子を息子とし、母マリアが愛する弟子の母になったとき神の母では、なくなりました。

 なぜそうしたのかというと、上記の仙人の話をみてみるとわ

かります。

はじめ主人公の権助は、仙人になる為に住まわせてくれといわ

れましたが、変な目でみられ、そういうおかしなことを言う変

なひと扱いされていました。

 挙句の果てに悪い医者の妻にだまされたほどです。

もし、主・イエス様が人としてこられたとき、仙人のように雲

からこられたりしたならば、奇人や化け物扱いされてしまった

のではないかとおもいます。

だから人として、生まれる必要がありました。

そこで、マリアの体を借りてでてこられたのです。

だから、マリア崇拝や、マリアを特別な存在として扱ったり、

するのは、危険に行為でもあります。

聖人にとりなしてもらうのはいいかもしれないけれども、主・

イエス様=神よりも、他の聖人の像や絵が主体の教会は、偶像

礼拝=罪になってしまうから注意が必要です。

主・イエス様は、天にあげられました。

だから、天に昇った権助のように、主・イエス様のために奉公

するものは、キリストの体に預かれ、天国へもどれます
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