トクトル

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トクトルさんの日記

(Web全体に公開)

2008年
08月29日
21:49

スキン・シップをとるときには。

最近は、とても雨が多い、家の近所に貯水池のような、公園があるのだが、

ここ2日間の雨で、水が溢れてきそうでした。

この間も、下水道の工事をしていた人が、流されたと聞きます。

私達も、主・イエス様にいのり、この世の常識に捕らわれ、流されないようにする

必要がある。

さて、今日は、スキン・シップのことについて、書こうとおもいます。

聖書では、私達は、愛しあうようにと、かかれています。


愛は、すべての律法をまもっているからです。

詩篇2:12では、御子に口付けせよ!

といわれています。
また放蕩息子のたとえの中で、身代を食いつぶして、放蕩の限りを尽くした

息子に対し、良い着物をきせ、手には指輪、足に靴をはかせたといいます。

アメリカのほうでは、挨拶代わりの抱擁をよくするようです

が、日本では、愛情表現が乏しいからでしょうか?

あまり、抱擁をしないようです。

私は、主・イエス様に祈り、教会では、このスキン・シップを

心がけようとおもっています。

挨拶したときに、握手する、また、笑顔や、手を上げたりしたりします。

聖書で、私達は、愛するという、道理をおそわりました。

それは、いわば、テニスで、言うと本を読んで、理屈を学んだことには、なるでしょう。

しかし、実際に行動し、その中で、愛を学んでいくと、書いてあること以上のことがある

ことに気づきます。

何よりも、奉仕の仕事が、私達の霊のスキン・シップであるとおもいます。

教会以外に於いても、ボラン・ティアなどもできます。

さて、話は、かわって、このスキンシップを子供の頃から、ク

リスチャン・ホームの方達は、よくしているとおもいます。

でも、注意もひつようです。

トマス・アクイナスという方は、自然界の中から、動物達を観

察して、私達に教えたりもしました。

自然の動物は、親が子供の面倒を見たり、スキン・シップをしますが、一人前にする為に、

親がどこかへいってしまう種族も多々あります。

なぜこのように書くのかというと、この世は、罪の世なので、

ずっと、愛情にみちた生活をおくれないし、むしろ、孤独で、一人ぼっちの時もあります。

あまりに長すぎる、スキン・シップは、甘えを生み、その結

果、一人立ちするときに、罪や誘惑に捕らわれやすくなるという欠点もあるようです。

主・イエス様が、荒野で、悪魔の誘惑を受けられたとき、試練が終わるまでの間、

危険な獣や落雷のあるような場所で、一人で試練に耐えられました。

だから、長すぎる抱擁を毎日ぬいぐるみでも扱うかのような溺

愛は、その子をだめにしてしまいます。


 主・イエス様は、子供の頃、父母と離れて、いたとき、父と母は、必死で探しました。

主・イエス様が見つかったのは、3日後でした。

ルカ2:48
しかし、主・イエス様はこういいます。「どうして、私をお捜しになったのですか?

私が必ず自分の父の家にいることを、ご存知なかったのですか。」

私も、神に信頼して、最終的には、父母ではなく、目にはみえなくとも言葉として、

ともにいてくださる主・イエス様を完全に信頼できる子になることを望みます。

主・イエス様の十字架をあおぐものは、暗闇に座することな

く、信仰と希望と愛をうけ天国への階段をのぼります。


主・イエス様に門をたたくならば。
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