トクトル

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トクトルさんの日記

(Web全体に公開)

2008年
08月02日
12:33

思い煩わない為には。

この間、近所の公園の近くから、川沿いの花火大会がみえた。

この公園は真ん中に陸上競技場があり、結構その周辺の道幅が広く、夜などは、ジョギングをする人が多い。

でも、今日は、浴衣姿の人たちが結構優雅に夏の世の風情を楽しんでいた。
でも、不思議に思うのはなぜ祭りごとや花火などを見るとき、特別な楽しみを感じるのか?

無意識に先祖のDNAから何かを感じとっているのかもしれない。


さて、今日は、主・イエス様に祈り、思い煩いのことについて、書きます。
 主はマタイ6:25~34で、心配したり、思い煩うことなかれといいます。

空の鳥を見なさい。種を蒔きもせず、刈り取りもせず、倉に納めることもしません。
 
けれどもあなた方の天の父がこれを養っていてくださるのです。
 
あなた方は、鳥よりももっと優れたものではありませんか?
 主・イエス様は、願いを待つとき、こういいます。
 
心配したからといって自分の命を少しでも延ばすことができますかと。
 
では、なぜ人は、こう書かれているとおりにできないことがあるのでしょうか?

私たちの信仰生活の中で、思い悩みを持つことは、不信仰にもつながります。

主・イエス様により頼むということは、無気力にならないことが大事です。

シラ書2;13 無気力なものは、災いだ彼には、信念がない。
 だから彼には主の守りがない。

とあるように、私たちが罪を犯してしまうときに、堕落または、無気力、虚無の状態の時が一番危ないです。

人の心は、湖に映った月のように変わりやすく、敏感です。

この問題を解決する方法は旧約聖書でかかれています。
主・イエス様は、昔まだ主御自身が、十字架の贖いになつてくださる前は、子羊や、山鳩などをささげていました。
ただ捧げるのではなく、らい病の清めまたは、子供を生んだ時などそれぞれ捧げ方がちがっていました。
何日もかけてすることもあったりします。

これによって、主・イエス様は、私たちに理性と意思をもたせ、堕落から身を守る行為をさせていたのだとおもわれます。

今で言うと学校で授業を、分別をもってするというところでしょうか?

また、セールスマンなどは、商品が売れないからといって、悲しい顔をしてたのでは商品は、売れません。

いつも思い悩まず、悩んだ時にこそ、気力をもてるようにしているから、明るく見えるのだとおもいます。

落ち込んだときが、実は、もっと自分を光輝かせるチャンスでもあり、そのときに信仰の確信がひつようです。


  さて人には、無意識界というものがあるとフロイトはいいます。

  そしてイド=原始的快楽や欲求をもたらすエネルギー、エゴ=自我 、スーパーエゴ=社会の成員としてのモラル、行動規範仕事の義務や目的に自分を従わせようとする力。
早く言うと、秩序、理性のことでしょうか。

 このことを見る時人には、何か、規範のようなものが必要です。 イドやエゴだけで生きる生き方は、信念のない生き方で、糸のないタコのような状態です。

 だから、私たちは、信念が必要です。

 聖書では神のおきてを守ることの大切さが書かれていますが、 それが私たちの救いの糸でもあり、私たちを堕落や恐怖から、守るものになると教えられました。

 また、フロイトは、人には、イドとエゴとスーパエゴの葛藤が大きすぎると、コンプレックスが生まれるといいます。

 私たちも、伝道するとき失敗すると、そのしこりが残り、中々先に進めないこともあるかもしれません。

 今日は、思い悩むのならば、神の国と神の義を求めることの大切さを主・イエス様に祈り書きました。

 主・イエス様の預言者のエリヤは、カラスが本当に主の命令で面倒みたといいます。

 主は、あなた方の神の毛一歩まで、数えられる方であり、
私たちにいつも母なる大地、太陽、すべてを創造された方です。

  しかしこの大地もすべて物質で作られているので砂のように崩れます。

 しかし、主・イエスさまの私たちへの十字架の愛と絆は、誰にも断ち切ることは出来ません。

 信じるならば、誰でも悩むことから開放され、罪の奴隷から開放され、すくわれます。

コメント

2008年
08月03日
18:58

1: -

素晴らしいメッセージをありがとうございます。トクトルさんは牧師さんですか?

2008年
08月22日
19:58

こんにちは、コメントありがとうございます。

私は、牧師では、ありません。

ある時、主・イエス様に書くように導かれ、私の意思的にも、

主・イエス様の為に書こうかなとおもっては、もいたのですが

導きだとおもいます。

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