トクトル

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トクトルさんの日記

(Web全体に公開)

2008年
07月25日
20:39

羊の門とは、

最近、私の近所では、花火の音や祭り特有の太鼓の音が聞こえます。
 
 夏祭りには、私は、生まれ育った故郷で祖父母とのんびりしたいです。
 
 さて、今日は、選択=羊の門にのことについて、主に祈り書こうと思います。
 
 日本では、古来から、巫女又は、祈祷師などがいた。

  また神社にはこま犬、 仁王像などが門の両側に置いてある。
 

  聖書でも、神殿の両側には、ケルビムがおかれています。
 
 なぜ、門の両側に監視者のようなものを置くのか?
 
 それは、神殿の中に悪しきものが入るのを防ぐためでしょう。
 番人の働きをしているとおもわれます。
 
 それと、同様に主が聖書で、羊の門から入りなさいという言葉は、どんな
 
 罪に対して自分で、解決せず、常に自分や周りの人達から言われた叱責を注意して、観察する ことを主は、私達にもとめます。
 
 ローマの詩人のキケロという人は、宗教という意味合いを詳しく観察するものだといいました。

  小説家の三浦綾子さんも、氷点や銃口などの本や聖書の注解書などみると、 とても、優れた描写力と観察力があったようにおもわれます。

  また、すぐれた、観察力があるからこそ、主・イエス様のための注解書を書けたのではないでしょうか。
 

 彼らがするように、私達も主が実際の生活の中で、または、聖書の中

 で、何をもとめたか?また、何が正しく何が間違っているのかをよく観察

  し、分からないことは、主・イエス様に訪ねることを私達にもとめます。
 

 なぜこのようにすることをもとめるかというと今が、裁きの時でもあるからです。

  死んでからは、自分の行いは 治せません。
 
 だからいま、救いの確信を持ち、主・イエス様の十字架を信じるものは、幸いです
 
  確信があると喜びがあり、確信によって、人は伝道し、確信があるから、キリストの十字架を述べつたえるのです。
 
 しかし、確信を持っているけれども、上記に対しての喜びがないく、行いも伴わない場合いは、牧師や信徒にいのってもらうといいです。

 
 以前の私は生活の中で、主・イエス様が求めていることを観察しようとはしないものでした。

  聖書の中に永遠の命があるというのは間違いないのですが、実は、

 主・イエス様は、生活の中で、私達の心を神殿とし、聖霊様を与え、私達の心にすんでいてくださるかたです。

 主・イエス様は、どんな時にもともにいて、私達の醜い心も清い心も全てしっておられます。


 私のようなどうしようもない程の罪人でさえも、主・イエス様は、共に励ま

 し、いつも主・イエス様の十字架を仰ぎみるようにしてくださっています。
 
 そして信じるものの心を清め天へと導きます。
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