クルミンシタさんの日記

(Web全体に公開)

2015年
04月04日
22:54

15聖週間 愛の鍵get☆! サルヴィフィチ・ドローリスを読む。

4月2日 聖木曜日

レジオマリエのカテーナ&扶助者聖母にご保護を願う祈り、仕事(パート清掃六本木)、黙想、ロザリオوいつくしみのチャプレット(麹町)、麹町正午御ミサ、仕事(パート清掃大手町)、困難な時の祈り、福音宣教のための祈り、煉獄の霊魂のためのノヴェナ
&ロザリオ5連、『ベネディクト16世 黙想と祈りによる十字架の道行』を随時適時

仕事の前の祈り。仕事。仕事の後の祈り。
仕事は祈りになる。
أحمَدُكَ يا الآبُ، رَبُّ السماءِ والأرضِ

黙想(今日の聖書朗読箇所)
第一朗読:出エジプト12・1-8、11-14
第二朗読:一コリント11・23-26
福音朗読:ヨハネ13・1-15

1エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。

11それを食べるときは、腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べる。これが主の過越である。

13あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。


25また、食事の後で、杯も同じようにして、⌈この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい⌋と言われました。
26だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。


3イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、
4食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
.

東京カテドラル関口教会聖香油御ミサ、
岡田大司教と司祭団。

新木場下車。篠笛練習。

呂音を太い息で吹けるようになってきている。

大声を出せるようになってきている。
子どもの大声泣きみたいな発声。

ちょっと前から思ってはいたことだけど、
上手くなりすぎないような練習にしていかなければならない。
ある意味上手くだけど。

ジャミールンに。
※アラビア語。もっと幅の広い意味での美しさ。

ゴミ拾ってPIRIKAに投稿。

新木場乗車。

そういえば、今年の書き初め、
「本気 جميل 」だったな。

仕事の前の祈り。仕事。仕事の後の祈り。
仕事は祈りになる。
أحمَدُكَ يا الآبُ، رَبُّ السماءِ والأرضِ

困難な時の祈り
福音宣教のための祈り

『聖アルフォンソによる煉獄の霊魂のためのノヴェナ』1日目でお祈りしてZzz..。。

ーーーー
4月3日 聖金曜日

レジオマリエのカテーナ&扶助者聖母にご保護を願う祈り、仕事(パート清掃六本木)、「聖体訪問と聖母訪問」(麻布)、聖母訪問و聖体訪問(六本木)、黙想、ロザリオوいつくしみのチャプレット(麹町)、麹町正午御ミサ、仕事(パート清掃大手町)、困難な時の祈り、福音宣教のための祈り、煉獄の霊魂のためのノヴェナ
&ロザリオ5連、『ベネディクト16世 黙想と祈りによる十字架の道行』を随時適時

仕事の前の祈り。仕事。仕事の後の祈り。
仕事は祈りになる。
أحمَدُكَ يا الآبُ، رَبُّ السماءِ والأرضِ

フルふるセット残業プラスlite。

ここまで時間おすと御ミサに直行

したいとこだけど、
今日は正午御ミサがないので、

「聖体訪問と聖母訪問」3

麻布教会小聖堂で、7連ロザリオوいつくしみのチャプレット。

今日のみ言葉おみくじ
Nothing
寄せ書きお祈り
Thank you Lord Jesus Christ and Mama Mary for Ichikawa

黙想(今日の聖書朗読箇所)
第一朗読:イザヤ52・13~53・12
第二朗読:ヘブライ4・14-16、5・7-9
福音朗読:ヨハネ18・1~19・42

4彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであった

5彼が刺し貫かれたのは
わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって
わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。

12多くの人の過ちを担い
背いた者のために執り成しをしたのは
この人であった。


7キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。
8キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。
9そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源


6イエスが⌈わたしである⌋と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。
.

辰巳下車。篠笛練習。ゴミ拾い。

PIRIKAに投稿。

辰巳乗車。

今年の枝の主日から始まった新しい日々。
--
信仰が新しい段階に入った。
新しい段階とかというか、真髄に。
と思う。


つまり十字架の道行。
信心業じゃなくて。それも大事だけど。
これからの人生。
イエズスと同じように十字架の道行。愛の道。神の愛を学ぶ道。
--
と日記に書いた新しい日々への突入。じつは、
これでいいのか、いちおう、神父様に聞いてみようとも思っていた。

調べていて、

前の前のパパ様著・「苦しみのキリスト教的意味」を読めばいいことがわかった。

仕事入り前の一服場所で、
赤字のTシャツ、背中に緑の文字で
「トマト作ってます」
と書いてある人がいた。

w

【聖母マラソン】
※検索バー書きで、

7月 72Km
【聖母マラソン】やってます!
参加募集中。
【そらのしたっぷす】

ナイス! トマト作ってる人。
ピコーんときてなかった第2期風船宣教の宣教プレート、みえてきた☆

仕事の前の祈り。仕事。仕事の後の祈り。
仕事は祈りになる。
أحمَدُكَ يا الآبُ، رَبُّ السماءِ والأرضِ

教皇ベネディクト十六世の250回目の一般謁見演説
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene...

を読んだ。

--
カプチン・フランシスコ修道会系クララ会修道女 聖ヴェロニカ・ジュリアーニ

ヴェロニカは、熱い愛に促されて、修道院の姉妹たちに配慮と理解とゆるしを与えました。彼女は、教皇、司教、司祭のため、また、煉獄の魂を含む、助けを必要とするすべての人のために、祈りと犠牲をささげました。彼女は自分の観想修道者としての使命を次のことばで要約します。「わたしたちは霊魂を回心させるために世界に出かけて行って説教することができません。しかしわたしたちには、神を傷つけるすべての霊魂のために絶えず祈る務めがあります。・・・・とくにわたしたちの苦しみによって、すなわち十字架につけられた生活様式によって」。聖ヴェロニカはこの使命を、人間と神、罪人と十字架につけられたキリストの「間に立つ」ことだと考えました。

ヴェロニカは、イエスの苦しみに満ちた愛に深くあずかりました。それは、「喜びをもって苦しむこと」が「愛の鍵」だと確信していたからです。彼女はいいます。イエスは人々の罪のために苦しみます。しかし、イエスは、ご自分の忠実なしもべが、まさに彼らの堅固で一貫した信仰ゆえに、教会の時代の中で、長年にわたり耐え忍ばなければならない苦しみのためにも苦しみます。彼女は述べます。「永遠の御父はイエスに、選ばれた者たちがどこまであらゆる苦しみを受けなければならないかを見、また感じさせました。それは、このイエスにもっとも愛された霊魂が、イエスの御血とすべての苦しみからどれほど恵みを得るかを知るためです」。使徒パウロが自分自身についていうとおりです。「今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストのからだである教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています」(コロサイ1・24)。

「すべての聖人はいさおしとイエスの受難によって天に上げられています。しかし彼らは、わたしたちの主がなさったすべてのわざに協力しました。それゆえ聖人たちの生活はすべて、(主の)わざによって秩序づけられ、支配されていたのです」

ヨハネ・パウロ二世 2002年 世界病者の日 メッセージ
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/sick/02sick.htm

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苦しみの意味に関する質問へのこたえは、「イエス・キリストの十字架において、神から与えられ」(同13)ました。こうして、原罪の結果である苦しみは、新しい意味をもつようになりました。つまり、苦しみは、イエス・キリストの救いの業への参与となったのです(「カトリック教会のカテキズム」1521参照)。キリストは、十字架上の苦しみを経て悪を支配し、私たちも悪に勝つことができるようにしてくださいました。私たちの苦しみをイエスの苦しみに合わせることによって、その意味と価値を獲得するのです。

トマト系野菜ジュースとカップ焼きそば2個買って帰宅。食べた。飲んだ。

困難な時の祈り
福音宣教のための祈り

『聖アルフォンソによる煉獄の霊魂のためのノヴェナ』2日目でお祈りしてZzz..。。

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4月4日 聖土曜日

リエのカテーナ&扶助者聖母にご保護を願う祈り、麹町教会御ミサ、福音宣教のための祈り、煉獄の霊魂のためのノヴェナ
&ロザリオ5連、『ベネディクト16世 黙想と祈りによる十字架の道行』を随時適時

西葛西下車。ジョグ。
↓走行記録、コチラで見れます。
http://runkeeper.com/user/kuruminnsita/activity/540814698...

さすが新聞配達経験者。ドンピシャ。
弱雨。

新木場乗車。

なお、部屋の鍵が新しくなりました。

受難の水曜日、
帰宅。鍵がまわらない。いつものこと。固くなってしまっているのだ。
ここ10日くらい、特にヒドく、3日前くらいから、
ペンチを出しておくようにして、ペンチの力で回していた。
そうしないと、朝出る時、始発に間に合わなくなるし、夜、これもう回んないんじゃないだろうかと、帰宅難民な思いの日々だったからだ。
ペンチを思いついてからラクになった。
が、

受難の水曜日。
帰宅、回らない。ペンチでも。
回った。開いた。
うわ・・
鍵曲がってる。
ペンチで修正。

今日は豚肉うどん。鍋に火をかけた。
鍵、明日の朝、手こずっている時間ないから、動作状況、確認しておかないと。

外出て、鍵入れて回してみた。回らない。ペンチで回してみた。回った。
が、
鍵抜けない。
やば・・

全然抜けない。そのままつけたままでペンチで微調整を試みる。
抜けない。
とりあえず開いてる状態にしようと思い、回してみたら、全然回らない。
力入れてやってみた。
折れた。
鍵が。

・・。。

素手で何度か回してみた。
回らない。

鍋に火をかけていたことに気づいた。


リミットがある。

ちょっとウケてしまった。
ドタバタコント。

どうしよう。。
と、1人で声に出してつぶやいてしまっていたほど。

外廻りを調査。
いつも、風呂場、湿気でカビないように窓を開けていたのが光明。
木の板の格子棒をノコギリで2本くらい切れば、私の身体能力、入ること可能。3本かもしれないけど。

表側というか、玄関から裏側の、雨戸のカギ、かかっていない。
古いアパートだから調子悪く、いつも閉めていなかったのだ。

雨戸あけてガラス冊子、確認。
閉まってる。はい。

横側も確認。雨戸完璧施錠状態。オッケー。


台所の窓の木の板格子棒を切断という手もあるけど、風呂場のほうが入りやすい。
というか、台所の窓には鍵がかかっているぞ。


すぐ目の前にガスのメーターがあり、
元栓があること発見☆
閉めた。

ふー。。

一服・・
は、タバコは部屋の中。

風呂場の木の板格子棒切断案の採用を決定。
ノコギリは部屋の中。

思い出してみると、人間って、こういうときって、
落ちてるわけないのに、アパート中の外廻り、ノコギリ落ちてたりするのを確認するからね。ノコギリを。
Nothing。

大家さんにノコギリ借りに、そして、こうこうこうゆうことに・・、を言いに。
※アパート、大家さんの家と隣接。

ピンポーン。

続く。。

四谷下車。サンパウロ。

サルヴィフィチ・ドローリス
- 苦しみのキリスト教的意味 -
ヨハネ・パウロ二世

購入。

なんだかんだで、その夜、1時間も大家さんに助けていただいた。

大家さんの機転で、表側というか裏側から、ガラスを割ってカギ開けて入ることに。
お☆
なるほど。総合的に考えてみて、そっちのほうがいい。思いつかなかった。
その案を採用させていただくことに。

やっぱ、ちょっと、すごく眠い。
いったん帰宅して睡眠摂ろう。

受難の水曜日以来、睡眠不足の疲労がたまっている。
先ずちょっと睡眠。

大家さん、その翌日、鍵交換とガラス、不動産屋、電話と立会い、しておいてくださると言ってくれて、
その言葉に・・
積極的に甘えさせていただいた。

聖木曜日、夜、大家さんとこピンポーン。
今日と昨日のことお礼言って、

鍵いただいた。

費用は大家さんもち。

ありがとうございました。

大家さんとずいぶん親しくなった。

帰宅。睡眠。

ヨハネ・パウロ二世 1994年 世界病者の日 教皇メッセージ
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/sick/94sick.htm
を読んだ。

悲しみの聖母・・

教皇フランシスコ 2015 世界病者の日 メッセージ
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/sick/15sick.htm
を読んだ。

水泳で言ったら、

水泳しまくってた頃、腕を放り投げるみたいにする泳ぎがラクなの発見、編み出したのだった。
ある日、インターハイの出場選手をコーチしている人の動きみて、そうか、こうか、肩から、こうか。
やってみて、既に出来ていたのだった。腕を放り投げる泳ぎ。つまり、肩からこう、の泳ぎ。

みたいに、

私、もしかしたら特殊、というか田舎数人教会出身の、
講座とかで学んでいく育ち方ではなかったから、

時間は要したかもだけど、

こうして、原罪の結果である苦しみは、新しい意味をもつようになりました。つまり、苦しみは、イエス・キリストの救いの業への参与となったのです(「カトリック教会のカテキズム」1521参照)。

わかった。
そしてすでに歩いている。

ゴミ拾ってPIRIKAに投稿。

麹町教会19:00 復活徹夜祭御ミサ、
佐々木良晴神父と司祭団。

光。
イエズスは引き寄せるのだと思った。光を。光の子らを。

詩めも:「ペングィン」


洗礼の約束の更新のとき、佐々木良晴神父が水ぶっかけながら聖堂中まわるの、私、おもいっきしかかった。

2015は背丈が成長する年なんだと思った。

御聖体、
エルナンデスさんからいただいた。
ちょっと欠けている御聖体だった。

つまり、
キリストの体、
私の体と溶け合ってキリストの体になることだと思った。

帰宅。

シュトルム神父からいただいた木彫り、悲しみの聖母と、御胎内にイエズスいる聖母をじっくり見ながら祈った。

イエズスの、その背丈に成長することができますように。

謙遜と純潔を。

サルヴィフィチ・ドローリスを読み始めた。

困難な時の祈り
福音宣教のための祈り

『聖アルフォンソによる煉獄の霊魂のためのノヴェナ』3日目でお祈りしてZzz..。。
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