たけ

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たけさんの日記

(Web全体に公開)

2013年
08月22日
12:09

いつまでも続く信仰

 信仰については、「弱くなったり強くなったりする」と言われることもあるようです。

 取税人とパリサイ人のたとえでは、信仰についての言及はないものの神に義とされたのは取税人であったというみことばで、取税人に正しい神を信じて義とされている信仰があるのだと私は考えています。

 ローマ書の初めと終わりに「信仰の従順」という語が書かれており、パウロがそれを広めることに熱心であることを思うとき、また、いつまでも続くものの中に、信仰が示されていることを思うときに、信仰の大きい小さいを考えるよりは、信仰の従順の真実を確認し、自分の心ではなく、自分の目が仰ぎ見ることのできる方の偉大さと栄光とあわれみを見つめたいと願います。

コメント

2013年
08月22日
22:17

1: kiwi

パウロは語ります。

「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。
その中で一番すぐれているのは愛です。」

また、こうも言っています。

「山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、
愛がないなら、何の値うちもありません。」

私は思います。

信仰と希望と愛。
これらは切り離せないものです。

自分には信仰があると言いながら、
愛がなければ、その人の信仰はむなしい。

自分は神様に奉仕しているという自負を持ち、
流暢に祈ることができ、
何事もテキパキと事を進める人。
しかし、その人が
身近な隣人の気持ちを理解せず、
思い遣ることもしない人なら、
その人の信仰はむなしいのではないでしょうか。

2013年
08月25日
03:04

2: たけ

>>1 kiwiさん
 コメントをありがとうございます。

 風がどこから来てどこへ行くのかわからないように、神の霊がどこから来てどこへ行くのかわかりません。しかし、取税人は神の霊を受けて、神に祈っており、取税人には、神の霊による救いが与えられていたにちがいありません。

 パリサイ人は、自分自身を直立させて、他の人から自分を引き離して高めていたようですが、神の霊を拒否していたようです。

 信仰も希望も愛も、風のように来る神の霊の働きによって、人に与えられているようです。このことのゆえに、神を賛美し感謝いたします。

2013年
08月25日
09:12

3: kiwi

パリサイ人の祈り

『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、
不正な者、姦淫する者ではなく、
ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。
私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、
その十分の一をささげております。』

取税人は遠く離れて立ち、
目を天に向けようともせず、
自分の胸をたたいて言った。

『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』

私は思うのです。

パリサイ人は、
自分は神の教えを忠実に守っていると自負しており、
罪人ではないと主張しています。
さらに、取税人をさげすんでいます。
確かに、律法を守ることは大事です。
しかし、隣人への愛がありません。

取税人は、自分が神の前には罪人であることを認め、
赦しを願っています。

このような人を神は、喜んで受け入れてくださいます。

イエスは、みことばとみわざを通して、
私たちがどう生きるべきかを示してくださいます。
これまでも、また、これからも。

主イエスの父なる神に感謝します。

2013年
08月25日
18:58

4: たけ

 私が書いた日記は、パリサイ人のニコデモに話されたみことば、『肉から生まれた人は肉、霊から生まれた人は霊』であることと、パリサイ人の祈りのたとえで、霊の人の存在が認められないことを感じて書いたものです。
 
 みことばは霊でありいのちですから。みことばに従う人は、霊から生まれた人に違いありません。

2013年
08月25日
23:19

5: kiwi

>>4 たけさん

『霊から生まれた人』はみことばに従うものだと、
たけさんは言われているのだろうと思います。

「肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者 は霊である。 あなたがたは新しく生れなければならない」

私は、このイエスのことばの意味を十分理解していません。

2013年
08月26日
16:19

6: たけ

 主イエスは、「人は新しく生まれなければ神の国を見ることはできない。」と言われました。

 新しく生まれることは、ペテロによれば、みことばによって生まれています。ですから、神の国の霊のありさまが理解できたり、パウロがローマ書で、個人の祈りにおいて、御霊が御霊から生まれた私たち、霊の人とともに祈ってくださることについて書かれていると思います。

 パウロは、不潔な人たちに、あなたがたのからだは神の宮であることを知らないのかと書いていますが、教会を指すとしても、個人を指すとしても、霊の人は、神の御霊によって生まれ、生きていることを認識できるのではないでしょうか。

 この確認ができるなら、牧師のいない集会にも、みことばにより、御霊により、キリストがゆたかに与えてくださるいのちに満たされるのではないでしょうか。

 みことばは、まず、書かれている状況での理解が第一で、次に私たちのための教えが心に響いてくると感じています。

 ニコデモは、パリサイ人でした。正直にイエスが神からの働きをしていることを話しましたが、他のパリサイ人とともに、ヨハネの水のバプテスマを拒否していました。ヨハネが上からの権威によってこの働きをしていたことを彼らは認めようとしませんでした。

 御霊によって生まれる人は、神の権威を認めて従います。主イエスも、バプテスマを受けられましたが、すべての正しいことを行なうことは私たちにふさわしいと言われてのことです。

 取税人は、神の権威と義を信じて、罪の告白をし、神の義を自分のうちに受け入れる恵みを受けたのではないでしょうか。

2013年
08月26日
22:41

7: kiwi

>>6 たけさん

ニコデモとの対話で、イエスが語られたことを
私は次のように理解しています。

「肉によって生まれた者が、新しく生まれるためには
水と御霊によらなければならない」

水は、バプテスマ(洗礼)を思い浮かべることができる。
イエスもバプテスマのヨハネの洗礼を受けられた。

人を新しく生まれさせるのは御霊である。

しかし、御霊によって生まれるということを
思い浮かべるのは容易ではない。

人は「御霊」を見ることはできない。
しかし、「御霊」は存在する。
人は風を見ることはできないが風は存在する。
これと同じだ。

天から下って来られた唯一の方、
イエスが地上で語られ、
奇跡を行われたにもかかわらず、
信じようとしない者に、
天上のことを話しても信じまい。

昔、荒野でモーセは一つの青銅の蛇を作り、
それを旗ざおの上につけた。
神が送られた蛇にかまれた人が
その青銅の蛇を仰ぎ見ると、
その人は生きた。

私は十字架に架けられなければならない。
私を仰ぎ見て信じる人は
永遠のいのちを得る。

2013年
08月27日
14:55

8: たけ

>>7 kiwiさん
 御霊によって語っているかどうかを見分けることについて、「イエスは主である。」というイエスを承認していることばを持つ人のことが知らされています。

 あなた「新しく生まれることを思い浮かべること」がニコデモ以外の人にも容易ではないと言われるのでしょうか。

パウロは、ローマ人への手紙の最初に、ダビデの子孫のイエスと復活による神の子として生まれたキリストのことを書いています。

 復活によって神の子と呼ばれたイエス・キリストは、新しく生まれることについて示しておられないでしょうか。

 十字架のイエスを仰ぎ見る方々に、復活の主が現われてくださいますように。

2013年
08月27日
16:22

9: kiwi

>>8 たけさん

「聖霊によるのでなければ、
だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。」
とパウロは述べています。

また、御子については、
「御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、
聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、
大能によって公に神の御子として示された方、
私たちの主イエス・キリストです。
(ローマ 1: 3-4)と述べています。

イエス・キリストは死者の中から復活されたので
神の御子となられたのでしょうか。
ダビデの子孫としてお生まれになった時から、
神の御子であったと思います。

「新しく生まれる」ということについて私はこう思っています。

この世に生を受けた人はすべて霊的には死んでいるのです。

この人は自分自身で霊的に新しく生まれることはできません。

人を霊的に生まれさせることのできる方は、
父なる神、御子、聖霊、これらはひとつですが、
この方以外にはないと思います。

人は御霊(聖霊)によってのみ、
新しく生まれることができるのです。
決して自分自身の力ではありません。

この世で生きている間に、
霊的に新しく生まれさせられた人たちは幸いです。

2013年
08月27日
19:14

10: たけ

 父なる神は求める人に与えられますので、みことばのとおりになるでしょう。

 御霊がどこから来てどこに行かれるかは、風のようにわかりません。しかし、御霊によって、生きる人は、御霊によって礼拝していることや、御霊によって行うことについて、その人に確かな結果があることを確認できるに違いありません。

 その方がどこからどのように来られるかがわからなくても。

 あなたにいつも真理の御霊の導きがありますように。

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