たけ

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たけさんの日記

(Web全体に公開)

2011年
07月02日
15:16

主の栄光によって変えられる

Ⅱコリント3:17,18の訳をレポートします。

 主は霊です。そして、この主の霊は自由です。
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられた主の栄光を反射しながら、ちょうど主の霊と同じような栄光へと、栄光によって、私たちのかたちを主のかたちに変えられます。

 多くの星の栄光は反射です。主の霊のかたちをよく見つめている人は、主の栄光をよく反射することができます。あわれみ深い人、平和を作る人が生まれ育つところに、主の霊(プニューマ)といのち(ゾーエー)とことばがあります。

 主の自由の霊は、やみをなくす光のように、主を見つめ続ける人において、みこころを実現されます。

コメント

2011年
07月03日
12:37

1: tiroru

主の霊のあるところには自由があります。

私たちは主の栄光を鏡に映すように、反映しながら、栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられてゆきます。

御霊なる主の働きによって~~感謝~~


栄光への道は狭い道です。しかし、今の時の軽い艱難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすのです。

2011年
07月04日
14:42

2: たけ

>>1 tiroruさん
主の霊のあるところとはどこですか。

2011年
07月04日
22:01

3: tiroru

「主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由があります。」

パウロのいう主([ギ]ホ・キュリオス)の霊は、第二位格の復活の主の御霊でしょう。

主(キリスト)の御霊は、わが内にいます。~~王座にいます。かな?

律法を完全に行えない=罪の奴隷からの解放=真の自由でしょう?
こんな頼りないことでいいのかしら?

2011年
07月05日
06:06

4: たけ

「主(キリスト)の御霊は、わが内にいます。~~王座にいます。かな?」と言われるので、実に全体的な領域が視野にあります。

 そして、信者の全体の心に御霊をとどまらせて、一つにして導いてくださることを思うと、御霊の偉大な広がりを認識します。

 御霊は風のように働かれますが、世のやみに対しても悪霊のしたたかな攻撃に対しても、何の妨げを受けることもなく、主の御霊を見つめる者に主の栄光を示してくださいます。

 御霊の全体を認識することは大切です。そして、それから目をそらさないことも大切だと思います。

2011年
07月05日
08:57

5: tiroru

ありがとうございます。
≪主の御霊を見つめる≫・・・霊感された主のみ言葉との区別がわから                   ん? クシュン
≪風のように~~したたかな攻撃に対しても何の妨げも受けることもなく主の栄光を示す~≫・・・・・素晴らしいことです。

身の回りに起きている変な現象もこの内にはいるのかしら?
受け取る側が意味不明であったり、見分けがつかなかったりするのです。

≪目をそらさないこと≫・・・おことばですから、そのようにしたいと思いますが、判ったようでわかりません。もう少し理解させて下さい。

2011年
07月06日
10:38

6: たけ

>>5 tiroruさん
 日本語も英語もギリシャ語もほとんど知らないと言ってもよい者が、聖書の訳に疑問を持ったと言って話すのは、多くの人に、困ったものだと思われています。

 その中には、「私には、『いのちを捨てる』というのは、本当によくわかる訳だ」という話があります。私は「たましいを置く」ことだと理解していますので、主が十字架で、罪人が赦されるようにと祈り、霊が取り去られるまで、そのたましいを置いてくださったことを覚えます。

 主はどれほど信じられないような反キリストの働きに囲まれていても、父のみこころを見つめてご自分の弟子たちを導かれ、定められたことを完了された栄光があります。

 主の御霊はこのようなことを栄光として、輝かせてくださっています。
それを見つめることはできると思います。

 自分によくわかることを愛して、それが、主が示しておられることと違っていても、それを選ぶ人が少なくないようです。

2011年
07月06日
15:16

7: tiroru

主イエスが、父なる神のみ心に従い、実に極みまでも従順にみ心を成し遂げられたこと。「テテレスタイ」=「完了した」と言われた。

そして復活なさったこと・・これを神の栄光として見つめ続ける。ということですか?

私は主に従い行きたいと願っていますが、日常起こって来る出来事に理解できないことや、主の御心が判らなくなることがあります。

どちらに進んで良いのか?
頼りない私は、主のくびきを共にさせて頂くことの幸を思います。

マタイ11:29・30「~~~~~私のくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

主の行かれる方へ従い行くことが出来ますから安心です。
祈り願っています。

2011年
07月08日
05:32

8: たけ

>>7 tiroruさん
 Ⅰテサロニケ5:10 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。

 原語で読むときも、文脈が最も重要なてがかりです。「光の子」は、使徒の教えによってみことばが理解できている人たちであると文脈でわかります。

 「主のことばであることがわかっていること」と矛盾する訳だと感じられるときに、注意し、他の調和する訳で補足されて、みことばが生活の土台になるように心がければ、原語にかかわる被害の心配は避けられます。

 さまざまな体験の中で、するどく原語にも注意されて、平安を持ち、祈っておられ、主のくびきのみことばを求めておられるあなたご自身を示してくださり、あなたがいつも、良い実を結ばせるために、話してくださることを感謝します。

2011年
07月16日
08:25

9: tiroru

№2について№3の補足です。

主は天にいます。そして私も主と共にいます。

感謝なことです。

2011年
07月18日
07:09

10: たけ

>>9 tiroruさん
主の日に、エレミヤ23章を読み、兄弟の口から、23:24の「天にも地にも、わたしは満ちているではないか。」の御告げが繰り返されました。

天にいます方とともにおられるあなたの体験をうれしく思います。

2011年
10月10日
14:47

11: tiroru

たけさん。
天にいます主と、共にいるという確かな≪体験≫は、私にとっては未だ理解できていません。

ただ信仰によってお約束を信じているのです。

主は「いつも、いつまでも共にいます。」とお約束して下さいました。

主イエスは、「父よ、彼らを私と共におらせて下さい。」と祈られました。

そして主は今、天におられますから、私も共に天にいる事になります。

これらのみ言葉の個所がいま思い出せませんが、・・・・。
良い導きと悟りが与えられますように。

2011年
10月10日
15:52

12: たけ

>>11 tiroruさん
 Ⅰヨハネ4:13によれば、私たちに御霊が与えられ、それによって、神との共同・コイノニアがわかるとあります。

 日々の私自身の状況を見つめるとき、私たちの心に御霊があり、順調にあせらずに、学びや奉仕を続けることのできるときがあり、ときどき、世との対応において、自分を責めなければならない思いを持つことがあります。

 そこで、みことばに対する自分自身の思いなどをさらによく調べることにより、みことばに対する忠実さの程度などを見極めて、ものごとに冷静に対応できるために、うちそとにある賜物に注意していこうと考えています。

 天にも私たちのうちにもいてくださる方を捜しもとめ確認することは、みこころにかなうことであり、見つけ出すことができると約束されていることであることを覚えます。

 あなたの励ましを感謝します。

2011年
10月11日
14:21

13: tiroru

たけさん。
第一ヨハネ4章13節をお知らせ下さってありがとうございました。開いてみますと、非常に心強くおもいます。

第一ヨハネの学びを改めてしたくなりました。求める心を起こして下さってありがとうございます。

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