トクトル

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トクトルさんの日記

(Web全体に公開)

2011年
05月10日
21:11

ダヴィドの日記

福島第一原発事故が3月に起きて2ヶ月が経ちました。


 今は、桜も散り、私の家の近くのこじんまりとした高台にある簡素な公園の桜の木には、緑が生き生きと若枝に葉を付けています。

 さて今日私は、ダヴィドの日記と言う実本の中から主・イエス様に祈り私たちが絶望の時にどう生きるべきであるのかと言うことを主・イエス様に祈り、この日記を書いています。

 この日記は、1940~1942年に ダヴィド・ルビーノヴィチという少年の書いたドイツ人によるユダヤ人の迫害の記録した日記です。

当時第二次世界大戦があった頃、ドイツのヒットラーが、アウシュビィッツ収容所でユダヤ人の迫害をしていた。

  主人公のダヴィド少年は、そんな戦争が終わる1945年前の過酷な迫害があった頃の実話です。

 1940年3月彼ら、ルビノー・ヴィチ一家は、ある雑貨店の壁に布告見たいなものが貼ってあるのを見つける。

 そこには、「ユダヤは今後馬車にも乗ってはならない」。



 汽車には、前から乗ってはならないと言う話ではあったがまさか、馬車にまでとは・・・。
 ユダヤ人達にとって、これが自由への侵害の序章であった。

 しかし、そんな中、天使のように心優しい少年ダヴィドは、自転車に乗ったり、森のキノコを弟と採りにいったり、心貧しくも、平穏な日々を送っていた、まだこの頃は、パパ、ママ、家族皆幸せであったのかもしれない。

 ダヴィドは、流行性感冒症や今まで学校にいけたのに行けなくなっても、くじけない前向きの良い子で、青々とした麦畑や日々の日の照る温かさを感じては、毎日毎日を楽しく明るく生きていた。

 そんな中、1940年この日記を書いてから約6ヶ月経ったころ、1939年11月頃から郷役場へ強制労働の為に登録をするという命令がハンス・フランク総督によって施行されていたが、ついに、ダヴィドのいるポーランドのクライノ村にも施行される事となった。

 また、主人公の親戚の住んでいるキェルツェの叔父さんの地区には「ユダヤ人」地区が
できた。

この地区から出るには、通行所が必要で、ユダヤ人は、自由に他の地区に行くこともままならない。

 この頃のジャガイモ1キロ:1ズウォーティー半、であった。

 また1941年頃になると、ソヴィエトがドイツに宣戦布告をする、ますます、ユダヤの人たちの状況は悪くなり始めていた。

1941年7月頃になると、今まで何とか調達してこれた日々の食費食料にまで手に入りづらくなっていく。
 そんな中、ルビノー・ヴィチ家の人たちは、心清く日々をすごしていた。

 ある時、道でお嬢さんが自転車て゛転んだ時にもママは、その子の治療をしてあげている。

彼らは、敬虔なユダヤ人で彼らには、神を讃えるトーラの祝日というものがある。

 しかし彼らは、その日にさえ書き物を禁じられていた、勉強も学校て゛できず、日々12歳~からの強制労働、彼らが自分の家のひき臼を他のユダヤ人のために貸すと、それによって罰金、久し振りに手に入るマーマー・レード、砂糖も、高くて買えない。

 そんな中1942年2月には、今まで住んでいたクライノから、ボゼンティンのおばさんの家へ移住する事となる。

 外では、人が日常茶飯事にころされ、働くと罰金、また過酷な強制労働などか行われていた。

 だけど、彼らは、こういう「売るものがあるのだけでも感謝しなければならない」そんな中、ダヴィド一家にまた不幸が襲う強盗だ。

 しかしこのときは、ガチョウはころされたが、彼らの盗品は見つかってもどってきた。

そして、父が捕まり、強制労働所へ。

そして最後、この日記は皮肉にも、父が帰ってきた後に主人公ダヴィドの日記は終わっている。


 私がこの日記の中で一番印象に残った箇所は、ダヴィドが、父が捕まった後の5旬節の時のお祈りした言葉です。

 「みんなパパがそばにいて、お祈りのことで分からないことがあるとなんでも教えてくれるのに、僕にだけは教えてくれる人がいない・・・。

 神様、僕に正しい考えを教えてください。

 正しい道をお示しくださいと祈ります。

 どんな貧困も、侮辱の言葉も強制労働も、父が捕まった事実が何よりも、少年ダヴィドには辛い事であった。

 そして、彼は、神様にこう祈ります。「神様、どうかパパが一日も早く家に帰れますように。」

 聖書には、イスラエルの王ダビデ王が詩篇でこう書いている箇所があります。

 詩篇119:83 たとい私は煙の中の皮袋のようになっても、あなたの掟を忘れ
 ません。

 詩篇119:96 私は、全ての全っきものにも、終わりがあるのことを見ました。

しかし、あなたの仰せは、すばらしく広いのです。

ダヴィド少年が得ていたもの、それは優しさ、そして正義、そして何によりも深い神への信仰であったと思います。

聖書で神は、この世はサタンの支配化であると書いています。

闇であると。

 私は、それが何となくしか分かっていませんでしたが、私は、歴史を通して、その事実を人の原罪を覚えます。
 
しかし、このような世の中にあっても私達に主・イエス様は、希望の光を与えてください
ました。

 ヨハネ11:25 イエスは言われた。「私は、よみがえりです。 命です。 わたしを信じるものは、死んでも生きるのです。」

 ヨハネ12:46 わたしは光として世にきました。 わたしを信じるものが、だれもやみの中にとどまることのないためです。

 主・イエス様の十字架は、全ての人を悪から清め私達を天国へといざないます。
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