トクトル

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トクトルさんの日記

(Web全体に公開)

2010年
09月13日
10:43

義のおこなうものには

今年の夏は暑かった。

日本の猛暑と言うよりも熱帯の猛暑といったかんじだ。

何処の学校か忘れたが、これから、学校でもクーラーを検討している

と聞きました。

そんな中の台風で、少しは涼しくはなりはしたが、相変わらず、9月になっても、

30℃を超える日が連日続いている。

さて、今日は、主・イエス様に祈り、義について、夏目漱石さんがかいた坊ちゃんから導きを

いただいたので書こうと思う。

まず、聖書では、義について、正義についてこう書いてある。

マタイ5章6、義に飢え渇く人々は、幸いである。

その人たちは満たされる。

さて、主人公は、旗本の元は清和 源氏 多田の満仲の後裔だったのだそうです。

父親譲りの無鉄砲で、子供の頃から損ばかり、負けずぎらいな子で、ケンカやいたずらをして

父と母を困らせていたようだ。

そんななか、母がなくなり、主人公は、父と兄と下女の清というばあさんと3人でくらすこと

となった。

世間では、悪太郎と罵られ、父や兄からうとんじられていた、ぼっちゃん=主人公をなぜか、

清だけはも、かわいがる。

「あなたは、まっすぐで良い御気性だと。」


清は自分の小遣いで、主人公に金鍔や紅梅焼き鍋焼きうどんてなどをくれた。

清が兄にやらずに自分にだけ、物をくれるのをみてなぜかと聞くと清は、兄は

お父上がいつもくれるからいいという。

でも、本当はおやじはがんこではあったいうが、えこひいきはしなかったのだ

そうだ。

 そんな中父も死んでしまう。

兄は商業学校を出て、主人公も学校を出て、田舎の数学の教師になる。

そして、清はおいのもとにいく。


彼は学校の先生となり、生徒に嫌がらせを受ける。

前の教師も嫌がらせをうけたのだそうだ。

彼が宿直の時にはふとんにバッタをいれられて、また大騒ぎされる。

そんな中彼は、自分の信念をまげない。

世の中に正直が勝たないで他に勝つものがあるか。今夜中に勝たなければ、明日勝つ

あさって勝たなければ、下宿から弁当を取り寄せて勝つまでいる。


いたづらをされてもけっして、信念を曲げなかった。


またこの物語では、もう一つの事件として、うらなりというあだ名の英語の教師の古賀という

人物がでてくる。

彼には婚約者がいたのだが、その人を赤シャツというあだ名の教頭もねらっていた。

ある時、古賀の母が父がなくなったことで、暮らし向きがよくないので、古賀=うらなり

の給料をあげてくれと校長こと狸に言う。

このチャンスを赤シャツ=教頭は逃さず、彼を転勤させ、自分は古賀の結婚相手を奪う。

その為に自分が給料をあげてもらえる形になった主人公こと坊ちゃんは、その給料はあげなくて

いいといい、古賀に対する社会の大人達の考えに真っ向から素直にぶちあたり、

のらりくらりと自分の言うことに対して、利己的に社会的な理屈をいう教頭にはっきりと

自分の意見をとおす。

そんな生き方をみてか、山嵐こと数学の教師と、主人公はある事件のせいで仲良くなかったのだが、

誤解がとけ、いき投合するようになる。

そしてそんな中また、かれらは赤シャツの策略にはまり、学生どうしの争いに

巻き込まれてしまう。

 新聞社に情報をながされ、抗争を止めに入ったのだが、誤解をうけ、糾弾される立場になる。

そして、2人は職場を止めることになるのだが、その前に、主犯の赤シャツが遊廓に、彼女が

いるのに、遊びにいく情報を得て、その証拠を主人公と山嵐の二人で暴き、赤シャツと野田

が、2人を罠にかけたのを探りだしてから、彼らをこらしめて、学校をさった。

今日私は主・イエスさまに、義とは何かということについて、おそわる。

かれらはこういう俺は逃げもかくれもしない。

また、不浄な地を離れて船が岸を離れればはなれるほど、心地が良いと感じたとある所を読み

義に飢え渇くものは満たされる。という御言葉を思い出された。

聖書で、神は主・イエスは、十字架にかかられて私たちに永遠の命と復活を与

えてくださった。

主・イエスは、ポンテオ・ピラトや皆におまえは神の子か?

と聞かれた時、そのとおりであると公言し、堂々と会同で自分がメシアであると言い伝えた。

私は、正直な人は、義を行う人は警察の前でも何処でも、堂々としていると思う。

素直であると思う。

だから私は、主・イエス様はユダヤの総督の前であろうと、権力に屈せなかっ

たのだと思う。

そして、この世の中の悪に勝利なされた。

ロ5、19~21、

一人の人の不従順によって、多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって、

多くの人が正しい者とされるのです。

 律法が入り込んできたのは罪が増し加わるためでした。

しかし、罪の増したところには、めぐみはなおいっそう満ちあふれました。

こうして、罪が死によって支配したように、恵みも義によって支配しつつ、私

たちの主・イエスキリストをとおして、永遠の命に導くのです。

 主・イエスの十字架を信じること私は命であり、道であり真理である、主・

イエスキリストを信じることそれが私たちの最高の恵みである義です。

主・イエスを信じるものは、満たされます。

主・イエスの十字架は信じた時からあなたを天国へと導きます。
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