たけ

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たけさんの日記

(Web全体に公開)

2010年
05月13日
13:15

いのちを捨てるとは?

 主のみことばについて、主が「わたしは良い羊飼いですから、羊のためにいのちを捨てます。」と言われたように伝える訳があります。

 原語の辞書には、「置く、立てる、別にしておく、固定する、定める。」などの意味はありますが、捨てるに近い意味は衣服を脱ぐのような意味でしょうか。

 英訳では、死んでくださった、与えてくださったの意味が見られます。罪を贖う意味とのつながりが伝わります。

 私は、「主がいのちを捨てられたので、あなたも兄弟のためにいのちを捨てなさい。」と言うような伝言を聞いても、理解しがたいものを感じます。

 いのち(自分自身のプシュケー)は捨てるものではないからです。もしそうだとすれば、どこに捨てるのでしょう。だれがそれを求めているのでしょう。

 犠牲のいのちは、捨てられたものではなく、神の栄光を受けるためのものです。しかも、それは完全な贖いが完了しています。

 神によって生まれた兄弟姉妹を見分け、その人たちの間で最善のものを分かち合う交わりが、「捨てる」ことではなく、栄光を現わす重要なものであるとの理解を、深めようではありませんか。

 互いの聖なる愛の働きが適切に表現され、理解されるために、御霊の実がいたるところで、ますますあふれますよう。

 キリストは、ご自身のことばが、霊であり、いのちであると言われます。

コメント

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21番~25番を表示

2011年
07月28日
05:43

21: たけ

>>20 tiroruさん
スーパナチュラルにくわしいあなたからのコメントをいただきうれしく思います。
その実体と表現を覚えておきます。

2011年
07月29日
13:02

22: tiroru

№17の
>>しかし、詩篇104:24-30では、
>>動物らもまた神の息(霊)を吹き込まれた存在であると解釈できる記述>>もある。

これについては大きな疑問です。

詩編104編は、自然の中に神の創造のみ業と、神の支配を見抜いてゆくところに私たちの信仰があるのだとを教えられます。

あなたが彼らの息を取り去られると、彼らは死んでちりに帰る。
あなたが霊を送ると、彼らは造られられる。~~というのは、

神が息を取り去られて死ぬのであり、神が息を送られて新しい生命が生じ、一人の子どもが誕生するのである。

☆それら自然界の全てのことは神の支配のもとにあるという信仰告白であって、全てのものの中に神のみ手というものを見ているのだと思います。

知性も理性も無い動物が、人と同じく神の息(霊)を吹き込まれた存在でしたら大変ですよ。(笑) 


『≪神は霊です≫から、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。』

神の霊(神)が、犬や猫にあるなら礼拝の対象を考えねば???(笑)

2011年
07月29日
21:43

23: たけ

>>22 tiroruさん
 あのⅡペテロ2:16のろばを思い出しました。ものを言ったのは霊があったからでしょうか。

 霊の中には、悪霊もあり、黙示録で獣として出ているものも、霊ですから、もし、動物の霊を認めるとしても、被造物の管理支配を委ねられている人の霊とは、随分異なると思います。

 そして、人よりは劣った動物の霊が認められる場合、それでも、すべての造られたものは良かったので、現在のぺットブームにつながる人に理解できる良さを保持しているように思われます。

 バラムは悪霊につかれて欲望の奴隷になっていましたから、ろばの霊に話してもらわなければならない状態のなさけなさが明らかになります。

 悪霊は動物の霊よりもわきまえがないのです。

 とすれば、動物の霊について知るのも、悪霊を知る上で決して無意味ではなく、悪霊の劣悪さとさらにそれを拝む欲望礼拝の恥を証明しているものとなります。

 本当に、皆様が話しかけてくださるところで、教えていただくことが多くて感謝です。

2011年
08月07日
21:12

24: tiroru

№10のこの世に生まれた時の、「自然のいのち」は、=「霊」ですね。


生まれた時の霊で生きるから、自然のいのちと表現しているとも考えられます。

たけさんが折角、見事な結論で締めくくって下さったのに~~、気になりましたので、m(__)m


☆たけさん。kiwiさん。楽しいコイノ二ヤの一時をありがとうございました。

2011年
08月08日
10:20

25: たけ

>>24 tiroruさん
 ヨハネもパウロもペテロもヤコブも、ところどころ、独特の表現で、真偽の見分け方や悪霊に打ち勝つ方法について、教えていると理解しています。

 そのような中で、原語の示していることで気づいたことを知らせていきます。

 こちらこそ喜びの完全にされるためのコイノニヤに感謝しています。

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