クルミンシタさんの日記

(Web全体に公開)

2008年
01月29日
20:48

コンタクトレンズとカトリックカレンダーとノヴェナと奉献の更新


4月10日まで、

コンタクトレンズ(ワンデー・アキビュー)、現在24枚。
ノヴェナ、残り8回(奉献の更新日と重なる日もある)、8枚。
引越し当日など、2枚。
今の仕事場最後の配達日、1枚。
引越してから毎日。10枚。
計24分の21枚。残り3枚。

ノヴェナ8回 *印はノヴェナ
2月2日  主の奉献*
  6日  灰の水曜日*
  11日 ルルドの聖母*
3月16日 受難の主日(枝の主日)*
20日 聖木曜日(主の晩餐)*
  21日 聖金曜日(主の受難)*
  22日 聖土曜日(復活徹夜祭)*
  23日 復活の主日*
  25日 お告げの日
30日 慈しみの主日 

プラス二枚で計23枚。


コメント

2008年
01月29日
20:49

※ノヴェナ第一日目は、聖パウロ回心の祝日に済。

2008年
01月29日
21:08

どの日に奉献の更新をするか、思考がストップする思いであり、
間隔が狭いようであるが、以上、すべての日に奉献の更新をする、すばらしい日々にすることに決定。

2008年
01月29日
21:13

2005年だから、今から三年前に書いた作曲詩。

2008年
01月29日
21:14


灰Wednesday05

ミーミー
ミファ#ミレミーミー
ミーミー
ファ#レミーミー
ソーソー
ド(高)ラミファ#レミーミー
ミーミー
ファ#レミーミー
ミーミー
ソソレミレドードー
ドレミファソラシー
ド(高)ー
 

2008年
01月29日
21:24

灰の水曜日

http://www.radiovaticana.org/japanese/japnotizie0603a/jap...より。

復活祭前の祈りと償いの期間「四旬節」の開始を告げる「灰の水曜日」

 「灰の式」とは、死と悔いあらための象徴である灰を、額や頭にいただく行事で、その灰には、前年の「受難の主日(枝の主日)」(復活祭の一週間前の日曜日で、キリストのエルサレム入城を記念する日)に祝福されたオリーブや棕櫚の枝を燃やしたものが使用される。
「回心し、福音を信じなさい」

2008年
01月29日
21:25

http://www.ne.jp/asahi/church/yurigaoka/rent04.html
教皇ヨハネ・パウロ二世(前の教皇)
2004年灰の水曜日説教より

「隠れたことをご覧になる父が、あなたに報いてくださるだろう」(マタイ6・4)。
 四旬節の初日にあたり、キリストのこの言葉は私たち一人ひとりに向けられています。キリスト教の伝統的な灰の式によって、私たちは四旬節を開始します。四旬節は特に神の聖性と偉大さの前での人間の罪深さを意識させてくれます。またそれは同時に、キリストの福音に対する信仰を具体的な行為を持って示していきたいとの心構えをも表しています。
 灰の儀式に使用される言葉は、四旬節の意味をよく表しています。前半部分は旧約聖書の創世記から取られています。「あなたは灰であり、灰に戻ることを覚えていなさい」(創世記3・19)。この言葉は、人間の存在の危うさ、弱さを如実に表しています。
 後半部分の言葉は、新約聖書の福音から取られています。「回心して福音を信じなさい」(マルコ1・15)。この言葉は、生活を改善しなさいとの厳しい勧告です。これらの二つの言葉は、神のみ言葉に素直に聞く態度と回心の精神をもって四旬節を始めるようにと、私たちに勧めているのです。
 福音は、主は「隠れたことをご覧になる」すなわちその人の心を見ると言うことを強調しています。償いの外的な行為は、それが心からのものであり、悪を避け善の道を歩むという確固たる決意を伴うかぎりにおいて、価値を持っています。ここにキリスト教的修徳の本質があります。(中略)
 私は「四旬節メッセージ」の中で「このような幼子の一人をわたしの名ゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」(マタイ18・5)というキリストの言葉を思い起こしながら、特に今、世界中の国々で多くの子供たちが置かれている困難な状況に注意を向けるよう促しました。事実、脆くか弱い無防備な子供たち以上に、助けや保護の必要な者がいるでしょうか。
 子供たちを取り囲んでいる問題は、大変多くまた複雑です。見捨てられた状況にあるこれら最も小さな兄弟たちが、私たちの連帯のおかげで相応しい世話を受けることができるよう、私は心から願ってやみません。これこそ四旬節における私たちの努力を具体的な行為で表すことにほかなりません。
 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、このような心構えをもって、四旬節の祈りの歩み、償いと正真正銘のキリスト教的修徳の歩みを始めましょう。
 キリストの御母、聖母マリアが、いつも私たちと共にいてくださいますように。


2008年
01月29日
21:43

キャンドルマス
Candlemas Day
http://www4.airnet.ne.jp/mira/letter/diary/2004/20040202....より。

カトリックの暦では,2月2日は“主の奉献”の祝日。
 
エルサレムで5世紀,ローマで7世紀から祝われていた古い祝日ですが,1996年には,ローマ法王ヨハネ・パウロ2世によって World Day for Consecrated Life(世界奉献生活の日)として制定されました。
昔は“マリアの清めの祝日”と呼ばれたこの祝日は,イエス誕生から40日後。聖母マリアが産後の汚れの清めの式を受け,幼子イエスが律法に従いエルサレムの神殿に捧げられた日に相当します。

また,この日は長く続いたクリスマスの終わりの日としてツリーを燃やしたり,一年間に信者の家庭で使う蝋燭を祝別してもらう日でもあり,キャンドルマス,日本では“聖燭祭”とも呼ばれてきました。

2008年
01月29日
21:45

http://www.radiovaticana.org/japanese/japomeliapapa0702/j...

主の奉献の祝日
世界奉献生活の日
教皇ミサ説教
(2007.2.2)
 
親愛なる兄弟姉妹の皆さん
 ミサ聖祭の終わりにあたり、ここ聖ペトロ大聖堂に集った皆さんに今年もこうしてお会いできることを大変うれしく思います。
 今日のこの祝日は、キリストの神秘体である教会にとって、また多くの修道会に属する皆さんにとっても意味深いものです。今日は、私の前任者教皇ヨハネ・パウロ2世が「世界奉献生活の日」と定めた「主の奉献」の祝日です。この日は主に多くの修道者たちの召命を祈り求めるためのよい機会です。
 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、今日の祝日は、皆さんの福音的証しが本当に効果的であるためには、あなたたちを特別な愛でご自分に奉献させた神の愛に余すことなく完全に答えなければならないことを教えています。死の前にメシアを一目見たいと希望し、エルサレムの贖いを心待ちにする人々に救い主について語っていたあのアンナとシメオン老人たちのように、現代も特に若者たちの間に神と出会いたいという要求が大きく広まっています。
 神から奉献生活に選ばれた人々は、この霊的な渇望を決定的な方法で自分自身のものとするのです。彼らの中にはたった一つの期待があります。それは神のみ国への期待だけです。その中にはただ永遠の神だけが満足させることのできる唯一の愛の渇きだけが燃え上がっています。絶えず何らかの意義を求めながらも方向性を失っている世界に、彼らの模範によって神は存在の主、「その愛は生命に勝る恵み」(詩編63,4)であることを宣言するのです。天の国のために従順と清貧と貞潔を選び取ることによって、物や人に対するいかなる愛や執着も心を完全には満足させることはできないこと、またこの世の存在は神なる花婿との出会いを一時的に待つ期間にすぎず、彼がおいでになる時にいつでも迎え入れるために目覚めた心で生きる時であることを示しているのです。
 奉献生活はその本質からして神に対する全面的、決定的、無条件の答えです。キリストに従うためにすべてを放棄する時、キリストに倣う奉献生活者はその師のように必ず「逆らいのしるし」となります。なぜなら、その考え方・生き方がこの世の論理とはしばしば正反対であるからです。
 キリストが修道者を選ばれます。いや、むしろ修道者はあますところなくキリストから捕らえられるのだと言えましょう。このような勇気を前にして、真理に餓えている多くの人々は強い印象を受けます。そして、信じることのために生命を捧げることをもいとわない人々に惹きつけられるのです。これこそがこの時代でも各奉献生活者が呼ばれている根本的な福音的忠実ではないでしょうか。

2008年
01月29日
21:46

 多くの修道者、修道女たち、奉献生活者たちが、地上のあらゆる所で神と兄弟たちへの愛の最高の忠実な証し、時には殉教の血に染まることさえあるその証しを捧げ続けていることを主に感謝しましょう。このような模範が、多くの若者たちの魂の中に親密で全体的な方法で終生キリストに従いたいとの望みを引き起こしていることを神に感謝しましょう。
 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、奉献生活はまず第一に、そのご計画に従って最後の目的に達するまで導かれる神からの恵みだということを決して忘れないようにしてください。奉献生活が神からの恵みだというこの確実性は、この時代が投げかける様々な挑戦や避けがたい困難を前に、あくまでも召命に踏みとどまるための支え、励ましとなるでしょう。事実、私たちが生きているこの困難な時代にあって、少なからざる修道会が自らの内部に抱える弱さや会の使命達成のために遭遇する多くの困難のために方向性を見失っています。今日神殿に奉献されるあの幼きイエスは、今も私たちの間に生きておられます。不可見の方法ではありますが、私たちが忠実に救いのみ業にイエスと共に協力できるよう私たちを支えてくださっています。
 光という象徴によって記念される今日の典礼は、特別に意味深いものがあります。この儀式のはじめに皆さんが行った荘厳なローソク行列は、キリストが歴史の夜に輝き、真理を心から捜し求める人々を照らすまことの世の光であることを示しています。
 親愛なる修道者の皆さん、真理の輝きであるイエスから発される炎がどこにおいても輝きわたるよう、キリストの光に燃える皆さんの生活によってこの光を輝かせてください。キリストに全身全霊を捧げ尽くすことによって、皆さんはキリストの真理の魅力、キリストに対する愛からあふれ出る喜びを証しています。皆さんは観想、活動、孤独、兄弟愛、貧しい人々、最も小さな人々への奉仕において、神は愛であること、神を愛することは素晴らしいことを証しし、宣言するのです。
 いともうるわしき聖母マリアが、今日の人々にあなたがたの言葉と行いからにじみ出る神の魅力を伝えることを教えてくださいますように。
 あなたがたの教会のための奉仕に心からの感謝を捧げつつ、いつも私の祈りの中に皆さんを思い出すことを約束し、心からの祝福をおくります。

http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/newpope/bene_mess...より。
愛の鏡である、至聖なるマリアに祈りたいと思います。マリアの母としての助けによって、キリスト信者が、また特に奉献生活者が、聖性の道を速やかに、また喜びのうちに歩んでいくことができますように。

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