トクトル

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トクトルさんの日記

(Web全体に公開)

2010年
03月04日
21:28

カミルロ・デ・レルリス

私の近所を散歩してみると、もう、梅の花が満開でした。

犬と散歩しながらまたは、家族づれで様々人達が、梅の花見に近所

の公園に集まってきていた。

とりわけ、多かったのが、写真を撮ろうとして、望遠カメラを三脚に

つけて、写真を撮らずに待っている人が多かった。

花に鳥が来る瞬間を狙っているのであろうか。

彼らの顔は、とても朗らかに感じた。

さて、今日は、主・イエス様に祈り、カミルロ・デ・レルリスという司際に

ついて書こうと思います。

レルリスは、1550年、イタリア・アブルッツイのブッキアニコという町で生まれる。

体がずはぬけて大きく、体力があったレルリスは、勇敢であったのでしょう17歳という

若さでベネチア陸軍に入隊する。

そして、傭兵として、暮らしていた。

当時のイタリアは、十字軍以来、イタリアの諸都市は東方貿易の独占を通じて大いに富栄えていた。

しかし、政治的には統一されず、ローマ教皇までもが、その争いに加っていた。

そんな中、新しい生き方、考え方が生まれ、世はルネッサンス文化へと美や学問も変わりつつあり、

楽しい時期でもあった。

神曲のダンテ、人文主義叙情詩人デカメロンで有名なボッテッチェリー、芸術では最後の晩餐の絵

を壁一面に書き、モナ=リザなどでも有名な画家ミケランジェロなど、彼の生まれた時代

前後は新しい文化、美術などに恵まれた時代でした。

そんな時代で、レルリスがはまってしまったもの、それは、ギャンブルでした。

彼は、3度の飯よりギャンブルが好きで中毒と言えるぐらい、ギャンブルにのめりこんでいった。

司際になろうなど夢にも思わなかったかもしれない。

毎日遊びほうけ、持ち物はすべてつぎ込み、負債者に着てる服をはぎとられることもしばしばあった。

借金はかさみ、やがて労働者として働かざるえなくなった。

そんな生活が17~25歳まで続いた。

しかしある教会の説教を聞いた彼は、思わず神にひざまづき、自分の過去の生活を悔い、天に慈悲

を乞うたと言います。

改心した後の彼の行動力は凄しいものて゛、まず、フランシスコ会に入ろうとする

けれども、足が不治の病の為入信できなかった。

そのことで、彼はめげることなく病気で苦しむ人々に目を向け、彼は、ローマのサン・ジャコモで

病院の会計係をし始める。

彼は自分が務める病院が暴力的で、治療法が不適切なのに気づき、司祭となった一年後の1585年

に「病める人のための修道会」を設立する。

この修道会のメンバーは、ハンガリーとクロアチアでの戦争で兵士達と供に参加し、最古の衛星集団

として記録を残すことになった。

彼は、64歳までの生き、15の宗教施設と8ヶ所の病院を建設した。

私が彼を思うときにいつも思い出す聖書の箇所は、ルカ19のザアカイの話です。

ザアカイは、大変な金持ちで、取税人のかしらだったひとです。

しかし体格的には、レルリスより背も低かった人ですが、彼と似たところがあります。

それは、生き方です。

レルリスもザアカイもとても恰幅がよく、人から愛されるひとだったのではないかと思います。

なぜならば、聖書でザアカイは木に登って主・イエス様を見ていたと書いてあるからです。

子供のような幼心のある人しか、あまりしない行為です、また、彼は、主・イエスにこういいました。

「私の財産の半分を貧しい者たちに施します。また。誰からでも私がだましとったものは4倍にして

返しますと」

彼らにとってお金とは、自分の生活に必要なもの、またギャンブルなどをするにしても、金に執着

するのではなく夢とかの為に使っていたのではないかと思います。

だから、彼は、主・イエスの新しい霊による体を着たとき、レルリスもザアカイも大いに獲得し

大いに与えることができたのではないかと思うのです。

聖書では、神と富とに仕えることはできないとありますが、私達はお金の為に生きる奴隷的な生き方から

主・イエスの十字架によって解放されています。

そして主・イエスを信じた人は親、兄弟、家族、すべての人に愛され、主・イエスの十字架により、すくわれます。

コメント

2010年
03月06日
15:21

1: tiroru

始めまして・・・、興味を持って読ませて頂きました。

~~レルリスの≪主・イエスの新しい霊による体を着た≫とき、~~につ

いて、分かりやすい表現で、説明して頂けませんか?

このような形でキリストの福音が伝えられてゆくことは素晴らしいことですね。

2010年
05月10日
23:12

こんにちは、私がこのブログ書かせてもらっている、徳

です。
返事を書かけなくて、すいません。

他にもブログがあり、生活も忙しく、コメントは、書いてあげ

ることができないこともあって(^。^)""。

上記にあるように、彼は、主・イエスの前に放蕩息子

でした。

傭兵の身であることは、けっしてよいことではありません。

でも、キリストの体を受けた彼の働きは、人を生かす

仕事を望み、最後には、病める人のための修道会」を設立す

したのです。


どんな人でもやり直せる。主・イエス様の十字架は、

人をここまで変えます。

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