トクトル

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トクトルさんの日記

(Web全体に公開)

2010年
02月06日
16:03

石原裕次郎と渡 哲也

今月大鵬、千代の富士に続く歴代3位の大横綱が引退した。

以前から、暴言や仮病で、横綱としての品格を問われていた朝青龍。


 でも、どこか人として憎めないところのある、皆から愛された人でも

ありました。

 同胞の、白鳳は、彼をいい先輩として、またライバルとしてみていたようだ。

寡黙で、冷静なあの白鳳から、大粒の涙がこぼれたのには、同じ国の仲間として

また兄のように慕っていたからではないかと思います

さて今日は、私は主・イエス様に祈り、愛するということについて書こうとおもっています。

孤島に浮かぶ要塞、そこは国際テロリストの本拠地、そこには誘拐された会社社長と少女が人質に

なっていた。



最後のラスト・シーンドドーンドドーンと、耳をつんざくような大音響、大建築の建物があっという

間に紅蓮の炎とかした。

そんな火の海の中から、大門=渡 哲也は、小銃を片手によろけながらでてきたその刹那、テロリスト

非情の銃口が、火を噴く。

これは1979年~1984年に放送された、西部警察のラスト近くのワンシーンです。


 大都会、西部警察などのテレビで、有名な石原プロダクション、当時バプルの全盛期の頃には、テレビ進出

で稼ぎ出した30億の資金は株式に運用され50億に、年間運営費約3億と相当な利益と富を持っていた。

 しかし、発足当初は、日活との契約が切れ石原プロは、いい映画を作ろうという皆の理念でできた会社

でしたが、ある兵士の賭けという映画づくりで惨敗、倒産寸前までに追い込まれていった。

渡 哲也は、石原プロに行くかまよっていた。
 
さて話しを少しかえ、なぜ渡 哲也が俳優になったかを書きます。

当時彼は、青山学院の大学生で、空手部、将来は日本空港の整備士の社員を目指していたが、採用されず

就職に対して悩んでいたのではないかと思います。

彼自身人と話すということが苦手で俳優には向かないと考えていたようですが、高校の頃から石原 裕次郎

に憧れていて、映画はたくさんみていたそうです。

 日活には、渡 弟恒彦と当時青山学院の空手部の仲間が浅丘ルリ子の相手役として勝手に応募したこと

がきっかけで俳優へとなっていった。

渡 哲也といえば今では有名人だし、彼のでる映画も大概ヒットしていると思われるが、初めはそうでも

なかったそうです。

出演する映画のほとんど、興行成績が残らない。

そんなあせりと苛立ちがあったなか、石原 裕次郎は先輩として、また仲間として、渡をかわいがる。

 家によくよび、一緒に風呂にはいったり、洋服など生活に必要なものを、裕次郎は持っていく

ようにいってくれたそうです。

そうやって渡 哲也は、俳優へと道をあゆんでいった。

いつしか2人は、俳優としてスターになるが、石原は日活をやめ、石原プロダクション

をつくる。


 しかし、映画の成績が芳しくないことにより石原プロは倒産の危機にさらされていた。

そんな裕次郎の石原プロの危機のさなか、渡も人生の岐路に立たされていた。

日活が倒産寸前になり、自分が望む俳優としての仕事に支障をきたすようになってきたからだ。

渡自身石原プロにいくかどうするかまよったのではないかとおもう。

 日活に反旗を翻したような形になる倒産しそうな石原プロに入るよりも、渡のようなスターにとって

他の映画会社からのオファーがたくさんあったのだから、渡にとって石原プロに行くのは相当の勇気

がいたのではないかとおもえる。

それというのも、日活が5社協定を結び、封じ込め作戦にでたからだ。

でも彼は石原との友情と愛を選ぶ、自分の俳優としての人生をかけて。

そのとき渡は、会社の危機をしっていた為180万もって当時の価値1000万という全財産をもって

社員の皆さんのお茶代にと、もっていく。

そのとき、裕次郎はこういいます。


「哲よ!ありがとう本当にありがとう、でもこれはもらえないよ」

そういうのものもっともで、当時の会社員の給料の4年分の給料だったのだから。

そんな中、渡は西部警察、大都会で活躍し、テレビで名声をとどろかすことになった。

 でもその道は決して順風満帆ではなかった。

石原社長は、1978年に舌癌、1981年には解離性大動脈癌、にかかるこの病の生存率

は3%といわれたが奇跡的に回復を果したが療養生活だったそうです

病の社長の見舞い、そして映画の指揮、渡に対して石原は感謝していたのだとおもいます。

さて上記にのせた、西部警察のラスト・シーンの当日裕次郎はこういいます。

銃で殺された主人公大門=渡 哲也が霊安室に運ばれる、そこへ裕次郎が入ってきて顔の

白い布をとり、「疲れただろう。だから眠っているのだろう。違うか!頼む、一言でいい何

か言ってくれ!」「俺はなあ、お前が弟のように好きだった。」

と言い裕次郎は泣き、涙をぬぐいながら「ありがとう、ありがとう」

この名セリフは、台本にはのっていなかったそうです。

この話しを聞いたとき、私は、この二人の友情よりも熱い絆を覚えます。

裕次郎は、渡の息子が生まれたときも自分の子供のようにかわいがり、渡も

現在の石原プロを引き継いでいる。

自分自身、直腸癌、などの病に冒されながらも、その絆があるからこそ、

石原プロを運営できるのではないかと思います。

絆はどう生まれたのでしょう。

それは、自己犠牲によるものです。


 今から約2000年前主・イエス様が私達の罪を赦すために十字架にかかられたことにより私達は救われ

ました。

そのイエス様が聖書でこういいます。

ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。

それは御子を信じるものが、ひとりとして滅びることなく、永遠の命をもつためである。


主・イエスを信じるものと教会は絆で結ばれていきます。

そして、信じる私達は天国へと導かれます。
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