ぴろみたん

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ぴろみたんさんの日記

(Web全体に公開)

2008年
01月18日
09:05

「だいすき」

自閉症の人がテーマになるドラマは多いけど、知的に障がいのある人のドラマって最近なかったような....「だいすき」新鮮に見ました。

知的レベルは8歳程度の主人公が子供を産み育てるというストーリー。主人公が通うのは授産施設。その説明もしっかりされていてなかなかよかったと思います。「知的障がいにより育児能力がないため、子供を乳児院へ」という保健師のセリフに最近私たちが関わっているある家族を思いました。

母子家庭で3人家族。3人とも知的障がいがあります。子供2人は、ニートで保護観察中の子と不登校の子。もともとは虐待の疑いがあり、児童相談所からの紹介でした。関係者は子供を施設に入所させる予定でした。

散らかしっぱなしの部屋に怒鳴り散らす母親の声。友達のたまり場になっている子供の部屋。お金がなくて何も食べてない子供がお菓子で飢えをしのぎ.....ゴミ箱にはカップラーメンの容器。

私が訪問しても「何しにきたの?」みたいな顔で子供に当たり散らし.....約束はすっぽかされ.......どんな提案も否定され....。私は入所は反対。だって住み慣れたここを離れたくないっていう本人の意思が確認できたから。

じゃあどうしたら心を開いてもらえる?

ある訪問時、「お腹がすいているんでしょう?一緒に「マーボー丼」作ろう♪」と子供に声をかけ、もってきた材料で一緒に作り始めてみました。
するとそれまで何に関しても否定的だった母親が隣に立ちぶっきらぼうに「ネギも入れないと...」と子供と2人で作り始めたのです。

私はやることがなくなったので「床でも拭いてようかな〜」なんていいながら嬉しい気持ちでいっぱいになりました。

「ご飯の作り方がわからない」、「子供の訴えの本当の意味が分からない」「お金の上手な使い方がわからない」

わからないことへの劣等感と母親としてのプライドと...複雑な感情がうごめき.......イライラして当たり散らす......。時々来ては説教する人々(先生とか保護司とか私たち相談員とか)に不信感を持ち....本当はわからないことを一緒にやってくれる人、説明してくれる人が必要だったんだよね。そして私はあきらめず伝えたかった。「私たちはあなたたちの味方だよ。」っていうメッセージ。

「だいすき」これは木曜から始まったドラマのタイトル。でも私は友達もいない(っていうか嫌われている)、出来ない事が多い、人間関係に問題を起こしている人々.....社会的弱者と言われる人々に関わる時に「わたしたちはあなたがだいすきだよ」ってメッセージが流せたらいいなって思います。イエス様みたいに。

コメント

2008年
01月18日
19:05

主の平和
難しいですな。素敵で、難しい。
私も、今でこそ、人様とかかわる仕事させていただいていますが、
もともとは、「他人に踏み込まれるのが大嫌い」ですので。
なぜかといえばびろみたんさんが書かれているように、
いろんな人とのかかわりで、きずついてきたから・・。
 このお母さんもそうですが、たとえ、周囲から見て、どんなに足りない点のある人でも、「自尊心」はあるんですよ。それを無視したかかわりは、
相手を傷つけるだけ、迷惑なだけ、なんですよね。
だから今でも、「上から目線」大嫌いです。
いわゆる「援助する側」のひとたちとのかかわりで、
癒された経験がないもので、かえってうっとうしかったんですよね。
 ただ、びろみたんさんの視点、かかわりの方法は、すごくいい、と思います。そういう気持ちがない「援助」「かかわり」は、かえって迷惑だと思います。
 これからも、温かい気持ちが、周囲に伝わりますように(*^_^*)

2008年
01月18日
19:53

たらさん

>人様とかかわる仕事させていただいていますが、
>もともとは、「他人に踏み込まれるのが大嫌い」ですので。

わかります。私は人と関わる事が苦手で.....関わられる事も苦手。でもだからこそ寄り添っていきたいと思える事は感謝なことなんですね。(*^_^*)

健常者と言われる人々の心の貧しさと社会的弱者と言われる人々の心の豊かさと.... いかに私たちが教えられる事が多いか、気づいていない事が多いか....日々考えさせられます。

2008年
01月19日
00:39

ぴろみたんさん、

たとえ、有名な牧師が説教しても、心を開くだろうか?という
疑問があります。
また、大きな聖会に行って癒されるのだろうかという疑問が
あります。
今、人々が必要としているものはなんだろう?って。
そこに目を向けるべきで、やはり愛なんだと思います。
人の話を聞くだけでもいいし、一緒に過ごすのもいい、
また、ぴろみたんさんみたいに何か一緒にやってあげること、
それをイエス様は今のクリスチャンに求めていることだと
思うんです。

2008年
01月19日
05:40

とても感じるところがあり何か書こうと思い何回も来ては読みました。
浮かんでくる思いが多すぎてまとめられません。

障害者自立支援法のこと、施設の方針と自分の指向とのギャップ、当事者本人の希望と我が子を心配する親の思いとのギャップ、支援って何だろう、何が本当にその人にとって良いのだろう。自分に何ができるのだろう。
与えられた役割をきちんとこなせているだろうか。

僕もどんなにその人のために良いものでも、その人が望まないことは押しつけでしかないと思っています。

僕は障碍者のことを考えるときいつもこの御言葉が浮かんできます。

 弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」
 イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。
ヨハネによる福音書第9章2-3節(新共同訳)

バラバラな文章でスミマセン。考えがまとまったら、そのうちどこかで書きます。

2008年
01月19日
05:45

ノエルさん

そうですね。一緒に何かするって難しいけれど、イエス様が私たちに求めている事は愛をもって共にいることなんでしょうね。

2008年
01月19日
05:49

ごま和えさん

私も本当はもっと思いがいっぱいあって....
だから気持ちすごく分かります。支援者としての限界を感じる時、やはり神様の視点から見たこの聖書個所私も思います。

そして実感します。彼らによって私たちが成長させられている事。
私たちの方が本当に未熟者なんだって。

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