トクトル

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トクトルさんの日記

(Web全体に公開)

2008年
01月17日
21:14

愛は家族の内に

愛は、いつの日か心に宿るものなのかもしれない。
言葉として、でも
きっと、それは一人ではないのだということが、自分の心の中ではっきりとわかったら
なのかもしれない。
さて、今日は、愛することについて、主に祈り書いています。
愛するということを思う時自分は、「あなたは、この世に望まれてうまれてきた大切なひと」と、苦しむひとや悩むひとの為に励ましつづけた人、マザーテレサさんのことを、思いだします。
彼女は、自分以外の人を家族のように大事にするかたでした。
世の苦しみにあう人々を。
彼女は、こう言います。
多くの人は病んでいます。
自分が全く愛されていない、
 関心をもってもらえない、
 いなくてもいい人間だと。
人間にとって一番ひどい病気は、
誰からも必要とされていないとかんじることです。
だから彼女はこうも言います。
まず、知り合うこと、
知り合えばお互いに愛し合うようになるでしょう。
お互いに愛しあえば、支え合うようになるでしょう。
 もし本当に愛したいと願うなら、
赦すことをしらなければなりません。
愛それは、神の掟をまもること律法をまもることにあるとわたしは、思うのです。
なぜならば、イザヤ57:14~15  主はおおせられる。
「盛り上げよ。土を盛り上げて、道を整えよ。私の民の道からつまづきを除け。」
15 いとたかくあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が
こう仰せられる。
「私は、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだったもののとともに住む。」
なぜならば、私達がたいがい人を赦せなくなったり、人を裁く時こそ、神が供ににいない時であり、神のことを忘れている人は、神の前に白旗をあげず傲慢になりがちだから。
それが、善であろうと、悪であろうと、神の前にたかぶっている時こそ、神の愛と人の愛を忘れた時だと思うのです。
ヤコブ1:19~20 人の怒りは、神の義を実現するものではありません。
なぜこのようなことを書くというならば、ひとりの天国にはいるものを一生赦さないでいることこそ、主・イエス様を愛さないことであるから。
律法のなかにあるモーセの十戒の殺してはならないという教えを犯すことにもなるでしょう。
はらをたてただけでも、(マタイ5:22)
私は、だからこそマザー・テレサのように、教会の一人一人が聖霊による一致によって、主・イエス様の十字架と復活をのべ伝えることの大切さをおぼえます。
そしてマザーのように、全ての人を自分の家族のように愛する時に、人の愛は、完全なのものになっていくのだろうと思います。
自分が一人でない事がわかるのは、神の家族のおもいやりによるから。
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