トクトル

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トクトルさんの日記

(Web全体に公開)

2010年
01月06日
19:36

ささいなことから


私は、新年が明けてから、2日目に浅草の神社に家族で出かけた。

といっても私は、クリスチャンですので、父や母と一緒に行きましたが、

参拝はしませんでした。

でも、寺や神社に袋に何万もの大金を投げ、今年もいい年でありますように

祈っている姿をみていると、日本人は、神という存在や仏の存在に対して、

良い意識をもっているのだということを改めて感じさせられます。

現代の世は、資本主義の世の中で、お金中心の世界になっています。

会社は、お金を稼ぎ、自分の会社が生き残るために脱税したり、食品偽装

したり、様々な問題は、すべてお金の魔力のせいではないかと思います。

もっと稼ぎたい。

聖書でも金銭があらゆる悪の根だと書かれた記事があります。不景気の今こそ

私は、注意したいとおもっています。

さて私は、前に魔術という題の本を読んだことがあります。

ある時雨の降る晩、主人公は、人力車に乗り、何度も大森界隈の険しい坂を上がったり

登ったりして竹やぶに囲まれた西洋館に着く。

ねずみ色でペンキのはげかかった狭苦しい玄関、でもそれとは、対照的に、インド

のマテイラム・ミスラと日本字で書かれた瀬戸物だけは、新しかった。


マテイラム・ミスラといえば、永年インドの独立を計っているカルカッタ生まれの愛国者で

同時にハッサンカンというバラモンの秘法を学んだ年の若い魔術師の大家だそうです。

このバラモンはインドのバラモン族を中心におこなわれた宗教で、難行苦行、操業潔白

で厳格な宗教だそうです。

彼と主人公は、友達でしたが、政治の話しはしていましたが、

まだ一度も彼の魔術をみたことはありませんでした。

それが、今回見せてくれることになったので雨がふる晩にわざわざ

魔術をみにきました。

彼の魔術は、とても不思議で目をみはるばかりの不思議ですばらしいものでした。

ランプがホヤ中心にこまのようにまわったり、何冊もの本が宙を飛び、テーブルの

上に行儀よく、ピラミッドのように、かさなったりしました。

永々と、ありがとうミスラ君はいいました。

本も何もかもが、すでに元通りになっていました。

夢から覚めたような心もちで挨拶さえ言えずにいましたが、ふとミスラ君のいった

「私の魔術などというものはあなたでも使おうとすれば、できるのです。」

というそしてその条件は、欲がある人には使えないということでした。

そのとき、主人公はこういいます。「できるつもりです」

彼の方がまだ主人公よりも若い彼に対しての謙虚さがそういわせたのでしょうか?

主人公はこういいます。「できるつもり」です。

本当に欲をすてられるのか、あまり疑うのも悪いとおもったのでしょう。

ミスラ君は、魔術を教えることにします。

そして一ヶ月後、彼は、魔術をみにつけました。

そしてこの日もまたざあざあと雨のふる晩の日でした。

今度は、銀座の或るクラブの一室で知り合い5~6人と気軽な雑談をしていました。

そして、一人の友人がこういいます。

「君は、近頃魔術を使うという評判だが、どうだい今夜一つ僕達の前で使ってみせて

くれないかと」

彼は、よろこんで魔術を披露します。

暖炉の中の炭を手にとってみせたり、その炭を金貨にしたり。

友人達は、びっくりしていましたが、主人公にこう聞きます。

「コレは本当の金貨かい。」

20万くらいはありそうだね。

ここから、彼と欲との戦いが始まります。

友人の二人は金持ちでしたが、彼のような金満家になれるよとしかし、

主人公は、ミスラとの約束をまもり、金貨をもとの炭に戻そうとするのですが、

当然皆反対します。

すると、友人の中の一人で狡猾と評判のある人が、意見が合わないで、主人公

が狼狽し疲れ始めたところをみて、こう切り出します。

「君はこの金貨を元の石炭にしようと言う。僕達はしたくないと言う。それじゃ

いつまでたっても議論が尽きないのは当たり前だろう。そこで僕が思うには、

この金貨を元にして、カルタをしよう!もし僕達が勝ったならば金貨のまま

僕達にくださいと。」

まんまと、主人公は、説き伏せられ、カルタをはじめます。

しかし、このときには、まだ主人公は、欲をだしてはいません。

でも、もうサタンの欲望のとりこになるのは、時間のもんだいでした。

相手もそんなに馬鹿ではありません。

初めは、主人公は、一度も負けませんでした。

別段カルタ好きでもないのに・・・。

段々楽しくなり、あの金貨ぶんの勝ちを収め、悪い友人が「僕の全財産をすっかりかける

といった」そのとき、主人公は、狡猾にだまされ、欲のとりこになりました。

そしてカルタの王様が、札の外に飛び出し行儀よく剣をもってにやりと不気味な笑み

を浮かべておばあさん、おばあさん、お客様はお帰りになるそうだから、寝床の支度

をしなくていいよといいます。

もうわかった人もいると思いますが、そうです。彼が魔術を覚えて一ヶ月後に、友人と

銀座とクラブの一室でカルタをしていたことも、すべては、ミスラ君による幻術でありました。

そしてこういいます。

私の魔術を使うのならば欲をすてなければならないと・・・。


聖書では、この欲望とサタンとの戦いについて、創世記2:17~3:をみると善悪の知識の木

の実の話しがでてきます。

人類最初の思考や霊をうけた祖先アダムとエバ彼らは、最初楽園でくらしていましたが、或るとき

神が食べてはならないという善悪の知識の木を食べてしまい、自分が何ものであるのかをしる。

そのとき、善悪の知識の木の実はまことに食べるのによく目に慕わしく、賢くすると言う木は、

いかにも好ましかったといいいます。

今日主・イエス様は、芥川 龍之介 さんが書いた魔術の中から3つのことを私に教えてくださった。

1.人の心はかわりやすい、だからバラモン教のように、修練し、誘惑におちいらないようにしなければ

ならないこと。

2.悪魔の誘惑は、困惑させ、心を乱し、疲れた後で、誘惑してくることが多く、欲をもたせ、人を

  傲慢にしていくけれど、そのきっかけは、些細な事からはじまるということ

3.聖書では金銭はあらゆる悪の根であるというように利害がからむとよくがうまれるということ

が、この魔術という本を読み主から示唆された。

私は、お金についても欲望についても火と同じであるとかんがえます。

炭火の火から金になったという箇所をよむ時、私達の心にも心の中の欲望の火というものが

あり、それは、少しの火がともっただけでも燃え上がります。

ヤコブ4:5同様に舌も小さな器官ですが大きなことを言って誇るのです。ごらんなさい。

     あのように小さな火があのように大きな森をもやします。

しかし、主・イエス様を信じるものたちは、主の十字架を述べ伝える人達の財産は、天にあります。

相続地の天国をもっているのです。

そしてそれは、今からでも遅くはありません。

主の十字架は、あらゆる欲望から来る火から私達をまもってくださいます。

コメント

2010年
01月09日
22:56

へーひらめき

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