トクトル

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トクトルさんの日記

(Web全体に公開)

2008年
01月10日
22:34

人はくちびるによって

旧約聖書を読むとその中で、預言者イザヤがでてきます。

この人は、主・イエス様のことを預言した人です。
そのような方でさえも、こう言います。
イザヤ6:5「ああ、私は、だめだ。私はくちびるののけがれたもので、
くちびるの汚れた民の間にすんでいる。
しかも、万軍の主である王をこの目でみたのだからといいいます。
するとセラフィムが祭壇の上から火バサミでとったもえさかる炭でその口に触れ
その不義は取り去られ、罪も贖われたという個所があります。
また、ヤコブ1:26でも同様に、自分のしたにくつわをかけず自分の心を欺くならば
そのような宗教は、むなしいといいます。
私達は、ずっとほしかったものが手にはいらなかったり、また、つらいことがあるとすぐに人や神の悪口をいってしまう性質があります。
聖書で出てくるヨブというひとも、神御自身が正しいとみとめたかたであるのにも、
関わらず、口で神を悪くいってしまった。
これは、人類最初の祖先のアダムとエバが、罪を犯して原罪の結果でもあるとおもいます。
幸いなことに私達が犯した罪や原罪は、主・イエス様が十字架にかかり、なだめの供え物となってくださったことによって、わたしたちは、救われたのですが、人や神に対する暴言や悪口は、罪であるので、注意がひつようです。
前の前の週は偶像崇拝について、書きましたが、今回はモーセの、十戒のみだりに主の御名を唱えてはならないという事について、主に書かせてもらっています。
神を信頼し、疑わずにいることこそ、口を閉ざすことだからです。
口は、火であり止まらない悪ではありますが、同時に賛美をしたり親切なことばも、口からでます。
口によって人は、うそをつき、口によって人は、神に背き、口によって、しかし主・イエス様の十字架をのべ伝えるわけです。
しかし人は、物がなくなったり、また仕事上のトラブルなどや、神にいのって何年か待たされたりするとつい背いてしまいがちです。
主に依り頼む努力をする人ほど、不安になり、何度も何度も主よ主よといってしまうかもしれせんが、じっと耐え待つことを主・イエス様は求めておられ、だからこそ、モーセの十戒の中で、主の御名をみだりに唱えてはならないという教えは、盗んではならないとか、殺してはならない、姦淫してはならない、嘘をついてはならない、貪ってはならないよりも上位に書かれています。
口から賛美がでもするし、口からさまざまな悪は、産まれるから、
私達は、主・イエス様に背くことがあっても、悔い改めるならば、主は、イザヤのように
私達の口をきよめてくださり天国へ導いてくださります。
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