クルミンシタさんの日記

(Web全体に公開)

2008年
01月10日
17:06

フンコロガシ


フンコロガシ
   
誰かが席をゆずるでしょう
誰かがゴミを食べるでしょう
誰かが拭き掃除をするでしょう
誰かがそれをやるでしょう
虫が
今日も
リンリンリン

秋の夜長
森の奥の奥
虫が
今日も
リンリンリン
  
  


コメント

2008年
01月10日
17:07

2007年9月頃に書いた詩ですが、
コミュ「へのへのもへじ」詩の投稿掲示板に投稿。

2008年
01月10日
20:11

今日、夕刊配達のとき、ゴミ拾いをしました。

二日くらい前から気になっていたゴミです。
光が丘公園の脇というかなんというか、道路沿いのなんというか、すぐの、公園の、なんというか、土手です。
たぶん、近くにコンビニがあるので、夜、若者たちが、たぶん、四人、カップラーメンをメインに、そこでいろいろ食べたり話したりして、
そのまま、なんというか、文字通り、ぶっちらかしたままいってしまったあとでした。
光が丘公園は、たまに昼とか、ちょっとベンチに座ったりしているだけでも、なんというのでしょう、シルバーセンターとかというのでしょうか、老人の方々が掃除をしているのを、ちょっと見ていただけで、視聴率のような計算で割り出した感じでは、ことのほか、結構デカイ光が丘公園内には掃除をしている老人たちが、ことのほか多くいらっしゃると思われます。

で、今回のゴミですが、二日前から気になっていましたが、たぶん、公園掃除の老人たちの死角かもしれません、と思いました。
ので、拾いました。ぶっちらかっていたゴミにコンビに袋も落ちていたからやりました。袋がなかったらやらなかったと思います。
袋二つ分、集めて、近くのコンビニにポイしました。

虫のようだな・・

と、自分のことを思いました。生ゴミとか、そこらに捨てておいたら、虫とか微生物とかが分解してしまうでしょう。

で、虫のようだな、と自分のことを思いました。

そういえば、フンコロガシという詩を書いたことがあったな、内容もそれっぽいなと思い出し、配達後、すぐに日記にアップして、マイバリカンで頭を坊主にしてシャワーを浴びて、チラシ入れ業務をしてきて、今、また、日記の続きを書いています。

2008年
01月10日
20:24

行動的には躊躇なくやりましたが、気持ち的には躊躇がありました。

だから、行動的には、見られないように、いそいそとやりました。コンビニでゴミだけ捨てるのも、店員に見られないように、でも、見られました。

新聞屋で、配達途中で、
この、ささいなことが、見方によっては新聞屋としての戦略的売名行為と言われてしまうからです。それを思いました。

話、はしょるし、自分の思考も、どちらかというと、はしょり気味に思いつくほうなので、バイクに乗って考えていたことは、

宣教は、人にするけど、

空のした、
宣教するだけだと思いました。

ばつがよくてもわるくても

です。聖書に書いてますね☆

ゴミ、燃えないゴミであろうゴミ、たくさん落ちてたし、そのままずっとな気もしたから拾ってコンビニですてました。

気持ち的にも、もっと、

空のした

躊躇なくがいいなと思いました。

2008年
01月10日
20:32

夕刊配達途中、なんというのでしょう、たぶん、知的障害のある女の人、今、どこだろう、たしか今は横浜の工藤(ピッチャー)を女にしたような女の人とすれ違うことがあります。
お互い、あうんの呼吸で、無言で、でも、おたがい、顔に出るほうなので、嬉しそうに、ペコ、ペコ、って挨拶します。
たまに、ある路地で、その人のほぼ一定の帰宅時間と、私のまあまあ一定の配達時間とがポイントで合えば会います。
今日は会えて、ペコ、ペコ、したので嬉しかった一日です。
なんか、相撲の、行司が、ひが~し~ むさ~し~まる~ とか言ってるときの手のようにつき出したりしながら歩いていましたが。。

2008年
01月10日
20:39

吟味したり修正したりしまくりの「めも SoranosiTap's」という日記を非公開にして書いています。
SoranosiTap'sは今年スタートさせていく、オカリナを中心にした主を賛美する団体です。
どういううふうなのにしていくかの草案を吟味したり修正したりしまくっています。
今のところ、
父である神を賛美するとか、
聖母マリアを母とするとか、
イエズス(イエス)、あなたを信頼するとか、
ヒバリのようにとか、
コマドリのようにとか、
スズメにょうにとかです。
吟味したり修正しまくったりしているので非公開状態にしているだけで、まとまってきたら公開状態にします。

2008年
01月10日
20:40

[marquee=left]オカリーナ募集中!

赤のアルト(ナイトというメーカーの)と白のピッコロ(アケタの)を持っていましたが、アルトのがなくなってしまい、思い切って、白のアルト(アケタの)を購入。
バッグの底のほうに赤のアルトが入っていたじゃん!を発見。
なので、現在、オカリナ、三本。アルトは二本。
つまり、アルト1本、あなたのために。
カンタラメッサの本を読みながら、対位法というのにも興味深々。
オカリナの仲間、コンビを熱望。
募集中☆
募集中☆
クリスチャンがいいです。
メッセージやメールも可。
めっちゃ待望☆
お待ちしております。 m

2008年
01月10日
21:24

ようやっと聖書箇所を発見。 
ばつが良くても悪くてもじゃなかったですね。これって、ある意味、方言なのでしょうか。
方言じゃないと思っていたものが方言だったってこと、東京に来て知ったこと、あんまりないですが、何回かあります。なんだったかは今、ちょっと、思い出せません。

2008年
01月10日
21:25


2テモ 4:2

御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。


2008年
01月10日
22:01

メモめも

http://www.din.or.jp/~akitsu/shisai03-12.htmより。

現代日本社会は先進国として世界の貧しい国々の憧れ、また国の開発の模範として取り上げられています。しかし、新聞を開くとトップページには事件やテロなどの暗いニュースばかりです。こんなに恵まれてもどうして明るく希望をもって生きることが出来ないのでしょうか?

 トゥアン枢機卿は牢の中でも「世の人々に向かって、あなたは福音を広く知らせなければなりません。この福音は禁止事項のリストではありません。それは、神さまの私たちへの愛の特別のメッセージです。神さまはこの世の人々を愛して贖ってくださったのです。」(上掲書955)。
 また、「神さまの愛に満たされているということは、世の人々の愛に満たされているということです。神に希望を持つということは、世の人びとの救いに希望を持つということです。」(上掲書954)と愛を持つことによっていつも希望に満たされていました。恵まれても暗い生き方をするのは私たちの愛の心が弱くなったのではないでしょうか?

 待降節は、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3:16)という出来事、つまり神の子イエスが人間となって、私たちの間に住まわれ、私たちの人間の宿命を共に過ごした愛の業(ヨハネ1:14)を思い起こし、「希望と喜びのうちに」(典礼的意味)その完成をもたらすキリストの到来を待つ、という期間です。

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