トクトル

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トクトルさんの日記

(Web全体に公開)

2009年
11月30日
15:44

主・イエスは飼い葉おけの中に

最近、夜になると、イルミネーションが、一般家庭の間

でも多くみられる。

家の近所の家も、もうじきクリスマスていうこともあって、家全体をクリスマスツリー

のように明るくしている家もてできた。

デパートでは、クリスマスツリーやサンタの人形があちらこちらに見られる。

そんな中、教会では、アドベント=待降節が始まった。

キリストの誕生は、私たちにとって、全世界にとって、もっとめでたい日で

あります。

 昔神の選民である信仰の父アブラハムは王達を打ちやぶって帰るのをでむかえた

 メルキゼデクというサレムの王で優れた神の祭司に祝福をうけました。

アブラハムは信仰の父と言われていますが、この信仰の父でさえ、十分一の戦利品を

メルキゼデクにあたえられました。

このメルキゼデクは、神の祭司でありましたが、聖書では、だれよりも尊敬された

祭司たちの中で高位な方です。

でもこのメルキゼデク=義の王、平和の王でさえできなかったことがあります。

以前旧約時代では、罪のなだめものとしての犠牲の捧げ者がたくさん必要とされて

いました。

それにもかかわらず、罪に苦しむ私たちの完全なあがないの完成は、永遠の命

を与えることは、犠牲の捧げ者や多くの祭司達の力ではなしえませんでした。

しかし、私たちの大祭司=主・イエスキリスト、キリストとは、救世主といいますが、

このお方がただ一度今の世の終わりにご自身をいけにえとして、罪の和解としてささげ

てくださったために私たちの罪は、とりのぞかれました。

人は、律法を知るとき、罪を知ります。

律法がなければ、罪は分かりません。

でも、律法を理解したとしても、人のものをほしいと思う思いや、むさぼり、心の

欲、欲望という火を消すことはできません。

でも、そんな私たち罪ぶかい私たちの為に主・イエス様は、罪を赦すためにクリスマスの日に降りてこられ

ました。

そこはちいさな町の貧しいであろう羊飼い達が集うユダヤのベツレヘム、派手やかな、

王の宮殿でも、立派な大都市でもありません。

それどころか、全世界の王であり、聖書の世界でももっとも高位のメルキゼデク祭司より

も偉大なこの王は生まれました。

なぜ、こんなところで?

それは、宿屋には、彼らのいるところはなく、それほど貧しかったから。

このお方がお生まれになった時御使いとともに多くの天の軍勢はあらわれ、

こういいます。

いと高き所に栄光が神にあるように地の上に平和が御心にかなうひとに

あるように。

では、私たちが主・イエスを褒め称えるとはどういうことでしょうか。

私は、このようにおもいます。

聖ビンセント・ド・ポールというかたがこういいました。子らよ、

貧しい人々こそは、私たちの師でというこをけっしてわすれてはいけません。

また、マザー・テレサは、貧しいひと達はいだいであるといいます。

なぜならば彼らこそが、主・イエス様の飼い葉をおけの寒さや飢え渇き

を体験した人達なのだから。

主・イエス様は、私達の罪は、とても重く、それは、国家財産よりも重い

ものであるのにもかかわらずに御自身の命を捧げてまでしても私達

の罪を廃棄するために喜んで、十字架にかかってもつ薬を拒むほど

に私達を愛してくださいました。

主・イエス様がのぞむ事それは、自分の隣の人を自分自身のように愛すること

です。
貧しい人達は、分け与えることをしっています。

最後に聖ボナベントゥーラの言葉を紹介します。

主・イエス

あなたは偉大で富んでおられたにもかかわらず

今は、小さく、貧しい方となられた。

あなたは御自分でお選びになった

馬小屋でうまれ

粗末な産着にくるまれ

牛とろばとの間にある飼い葉桶に寝かされることをゆるされた。

私の魂よ!

神の子の宿られたこの馬小屋を抱擁しよう

幼いイエスの小さな両足に

うやうやしく口づけしよう

羊飼い達の寝ずの番を黙想し

天使の合唱を観想しよう。

そして、天使達の歌に口と心を合わせ

力一杯歌おう。

天のいと高き所に栄光地には善意の人に平和あれ

と。
主・イエス様の十字架は、暗闇のこの地を平和の光で満たします。
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