クルミンシタさんの日記

(Web全体に公開)

2008年
01月09日
07:38

青空1反モーメン   とメモ日記。謙遜と清貧と努力と青空

青空1反モーメン


ゴゴゴとしてた
渦から飛び出す1反モーメン
涙もサラリ
糸の切れたタコ

しばし瞳を閉じて

エイッ









コメント

2008年
01月09日
07:39

コミュ「へのへのもへじ」日本語ならではの詩投稿掲示板に投稿。

2008年
01月09日
14:50

「けんそんのしおり」
レオ13世著・デランジェラ訳・ドンボスコ社 

p61~

あなたの霊魂が地上のわずらいを脱し、へりくだるものに神があたえられる栄誉をうけるために、主なる神のみもとにゆく最後のときまで、けんそんの宝を失うことのないように、せつせつに祈りつづけよ。

2008年
01月09日
14:56

p54~

さげすまれしりぞけられたとき、あなたの心がどんなに平静であっても、
ただそれだけでじゅうぶんだと思ってはならない。
高慢というものは、一時ねむているだけであって、ややもするとそのねむりをさまし、心中に奇怪な思いを起こしうるのである。
あなたはそれを考えて、自分を反省し、ほまれをさけ、けんそんにつとめよ。
この方法によってけんそんの宝をえるなら、もはや失う心配はないであろう。
天からけんそんをうけたいと思うなら、まずみづからそうあるように努力せよ。

2008年
01月09日
15:09

p55~

あなたがこのめぐみにそむかないようにしたいとのぞんでいるなら、
あなたを助けようといつも見まもられている聖母のご保護とご忠告をねがえ。
「聖母はだれにもましてへりくだられ、すべての人にまさるおかたでありながらも、みずからへりくだって、もっともけんそんになられたのである」
と聖ベルナルドはいっている。
聖母が聖霊にみちて神の母となられたのは、そのためであった。
あわれみと情愛との母であるかの女は、ご自分によりたのむものを見すてることはない。
あなたも、そのふところにかくれ、とうといけんそんの徳をえさせてくださいと祈れ。
聖母が自分の祈りをききいれてくださるかどうかを疑ってはならない。
聖母にねがうなら、きっと聖母はあなたのために神にとりついでくださるのである。
聖母はおん子の母であるから、そのとりつぎはかならずききいれられるにちがいない。
あなたが第一にねがうべきものは、謙遜である。これをねがえ。
聖母はあなたの心をやすらかにし、あなたが善意をもってねがうかぎり、あなたの願いはききいれられるであろう。
聖母が神の母となられたのは、まったくこのけんそんによることを反省し、聖母のご保護によりたのんで、そのけんそんを学ぶようにつとめよ。

2008年
01月09日
20:37


ヨハネ2・1-12


三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、
「ぶどう酒がなくなりました」と言った。
イエスは母に言われた。
「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」


しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。
そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。
いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。
イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。


イエスは、
「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」
と言われた。
召し使いたちは運んで行った。
世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。
このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、 言った。
「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。
それで、弟子たちはイエスを信じた。


 この後、イエスは母、兄弟、弟子たちとカファルナウムに下って行き、そこに幾日か滞在された。

2008年
01月09日
21:12

マリア・ワルトルター「聖母マリアの詩(下)」フェデリコ・バルバロ訳編。あかし書房。
p25 注(1)より。

※本文中、
「婦人よ、それが私とあなたとの間に もはや 何のかかわりがありますか」
についての注。

著名な聖書学者 ラグランジュは、(ヨハネ16・5)の
“あなたたちの中で『どこに行かれるのですか』と聞く者もいない”
ということばは新約のギリシア語では“もはや聞かない”の意味である。
このような箇所では、新約に使っているギリシア語では、“もはや”という短い副詞が省かれている、と述べている。
これについて別の聖書学者ジュオンは、“あなたと私との間に何のかかわりがあるか”ということばにも同じことが言える、と述べている。

2008年
01月09日
21:31

http://www.aritearu.com/Influence/Francis/Francisword/Fra...より。

土曜の夕方、祝福されたフランシスコが主のみもとに移ろうとしていた夕べの晩課の後で、ラウデ(賛美)と呼ばれるひばりがたくさん、フランシスコの臥す住まいの屋根の上、あまり高くないところで飛び交い始めた。

鳥たちはぐるぐる輪になって飛び回り、さえずった。祝福 されたフランシスコと共にいて、フランシスコについてこのようなことを書いてきたわたしたちは、フランシスコが次のように言うのを何度も聞いたことがある。

「もし、わたしが皇帝にお話できるとしたら、神の愛のために、またわたしのたっての願いのために、どんな人もわたしたちの姉妹であるひばりを捕獲したり害をしたりしてはならないという法令を定めてくださるよう懇願します。同じように、市長や町や村の領主たちも毎年のご降誕の祝日には、そのような祭日にふさわしく住民に麦粒か何かを市や町の外の道ばたにまかせ、とくにわたしたちの姉妹であるひばりや他の鳥たちに、何か食べるものを与えてほしいと思います。また、聖母があの夜、牛とろばの間にある飼葉おけにお置きになった神のおん子を敬うために、ご降誕の夜は、兄弟である牛とろばに飼葉をたくさんやるはずです。さらに、主のご降誕の祝宴を開く時は、富んでいる人は貧しい人に、おなか一杯食べられるだけのものが与えられるように配慮しなければならないのです。」

祝福されたフランシスコは、どの祭日よりも大きな敬いを込めて主のご降誕を祝った。他の祭日も、主がわたしたちの救いのためにお働きになったことを記念するが、祝福されたフランシスコがよく言っていたように、まず、主がわたしたちのためにお生まれになったからこそ、わたしたちの救いは成就されたのである。

だから、フランシスコは、キリスト教徒が皆、その日にはわたしたちのためにご自身をお与えくださったかたの愛を思って、主のうちにあって喜んでほしいと願っていた。

だれもが貧しい人たちだけでなく、動物や鳥にも寛大に喜んで与えなければならないのだ。祝福されたフランシスコは、ひばりについてこう言っている。
「姉妹であるひばりは修道者のように、頭巾をつけていて、謙遜な鳥なのです。ほんの少しの穀粒が動物の糞に混じっていれば、ついとはじき出して食べます。飛んでいる時は、地上のことを軽んじ、いつも天上のことに思いをはせ、善良な修道者のように、主をほめたたえます。その上、羽の衣は土の色をしていて、この点でも修道者に良い手本を見せてくれます。修道者ははなやかな上等の布の着物を着るのでなく、むしろ冴えない土のような色を選ぶべきだからです」。

祝福されたフランシスコは、今言ったことを姉妹であるひばりの中に見ていたので、ひばりをこよなく愛し、ひばりを見ることが喜びだったのである。・・・・・・・・・

2008年
01月09日
21:54

せきつい動物亜門 鳥類(鳥綱) スズメ目 ヒバリ科 ヒバリ

声とムービーの試聴。コチラ。
http://contents.kids.yahoo.co.jp/zukan/birds/card/0341.ht...

2008年
01月09日
22:30

せきつい動物亜門 鳥類(鳥綱) スズメ目 ツグミ科 コマドリ
せきつい動物亜門 鳥類(鳥綱) スズメ目 ヒバリ科 ヒバリ
せきつい動物亜門 鳥類(鳥綱) スズメ目 ハタオリドリ科 スズメ

2008年
01月09日
22:33

[marquee=left]オカリーナ募集中!
赤のアルト(ナイトというメーカーの)と白のピッコロ(アケタの)を持っていましたが、アルトのがなくなってしまい、思い切って、白のアルト(アケタの)を購入。
バッグの底のほうに赤のアルトが入っていたじゃん!を発見。
なので、現在、オカリナ、三本。アルトは二本。
つまり、アルト1本、あなたのために。
カンタラメッサの本を読みながら、対位法というのにも興味深々。
オカリナの仲間、コンビを熱望。
募集中☆
募集中☆
クリスチャンがいいです。
メッセージやメールも可。
めっちゃ待望☆
お待ちしております。

: