クルミンシタさんの日記

(Web全体に公開)

2008年
01月07日
20:33

没薬

昨日の四ツ谷の御ミサで神父さまが説教で言っていたことですが、
私、何にも考えないでスルーというか、教えてもらわないとわからなかったことですが、
東方の三博士の贈り物には「没薬」がありました。
これは、死を意味するそうです。はじめて知りました。
黄金は、王。
乳香は、・・
http://www.h7.dion.ne.jp/~obc/message2005/20051225.html
↑こちらの、ある牧師さんのお話のページに詳しく書いてありました。
乳香は、神にですね。
没薬は、・・
そのままコピペさせていただきます。

これは生れたての赤ちゃんにささげるような物では本来ありません。何故なら、古代エジプトではミイラ作りのための薬として、また鎮痛剤として用いたからです。興味深いのは、マルコ15:23とヨハネ19:39にこの没薬が出て来ますが、イエス様の十字架と直結しているのです。



クリスマス。。

コメント

2008年
01月07日
21:50

ロザリオを、むしろ、ゆっくりと唱えて、
集中、黙想、一致、自分、捨てちゃって、全部、あなたに、あなたと、
ロザリオを、むしろ、ゆっくり唱えて、

そして、アシジのフランシスコのように、清貧、人生の女王になるように

・・・

願います。

あなた・・

あなたの血・・。。


この絵がなんとなくわかります。

2008年
01月07日
21:56

  
ヨハネ3.16

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 
 
  。

2008年
01月07日
22:37

「ミサと聖体」ラニエロ・カンタラメッサ著・片岡仁志、庄司篤共訳・マリオ・カンドゥイッチ監訳・聖母文庫
p33、34~

過ぎ越しの夜の儀式で、イエスと同時代のユダヤ人は、次のように言うのが常でした。
「いつの時代にも、銘々は自分を、あの夜エジプトから脱出した者と見なしなさい。」
これをキリスト者にあてはめると、
「いつの時代にも、私たち1人ひとりが自分を、あの日、マリアとヨハネと一緒に十字架の下に立っていた者と見なさなければならない」ということになります。
そうです、私たちはあの場に居合わせたのです。
「誰もがあそこで生まれたのです」(詩87・4)。
「主を十字架につけたとき、お前もあそこにいたのか」という黒人霊歌を聞く度に、私はいつも、
「そうです、そこにいました」と心の中で答えます。

2008年
01月07日
22:41

オカリナ。
赤のアルト(ナイトというメーカーの)と白のピッコロ(アケタの)を持っていましたが、アルトのがなくなってしまい、思い切って、白のアルト(アケタの)を購入。
バッグの底のほうに赤のアルトが入っていたじゃん!を発見。
なので、現在、オカリナ、三本。アルトは二本。
つまり、アルト1本、あなたのために。
カンタラメッサの本を読みながら、対位法というのにも興味深々。
オカリナの仲間、コンビを熱望。
募集中☆
募集中☆
クリスチャンがいいです。
メッセージやメールも可。
めっちゃ待望☆
お待ちしております。

2008年
01月07日
23:05

5: -

クリスマスの出来事は、
必ず十字架とセットで語られるもの。

降誕の時にささげられた没薬も、
幼い主を祝福されたシメオンの預言も
みな十字架を暗示しているのです。

十字架にかかるために、この世にこられた主。
そこに救いがあるから。

2008年
01月08日
20:43

シャロームさん。

私、東京に来る前は、二戸教会というところにいました。行っていたというより、いたといったほうがいいです。

ずっと、シュトルム神父といました。亡くなったときは、神父さんはベツレヘム宣教会というところの神父さんだったわけですが、葬儀のとき、喪主、ベツレヘム会の日本管区長さまと私と二人だったくらいです。

最後の言葉は、「今までどおりつづけなさい」でした。
なんのことか、
それは神父さんとすごした二戸教会での日々のことです。

主だった具体的なことを言うと、
毎日、御ミサにあづかって、夜、ロザリオして、罪を犯したらすかさず告解していました。
二戸教会は告解室、あるにはありましたが、というか、そういうふうに仕切られた感じにしてあるところもありましたが、

神父さんの部屋というか、作業台というか、机というか、間取りとしては台所の一角の、ホリゴタツというかなんというか、木の板がテーブル状態で、椅子に座るかんじで座れるホリゴタツで、
告解してました。
落ち込みテンションで告解して、すぐに、
神父さんは枝からロザリオを作るのですが、私も習って出来るようになっているのですが、
告解して、すぐにそれを手伝わせてくれたときには、すごく嬉しくてあたたかかったっことを忘れません。

2008年
01月08日
20:53

私はクリスチャンホームとかではなかったですが、
シュトルム神父や、教会住み込み賄い婦さんや、代母さん(洗礼のときにできる)、とホントに家族のようにすごしました。
クリスチャンホームの子どもが、親から信仰を受け継ぐような、
そんなふうな信仰が、
日本のクリスチャンということで考えると、
私にはそういう特徴があると思います。
シュトルム神父は、ある意味、人気のある有名人でもありましたので、いろんな人たちも来ました。私よりも、話を聞いた人はたくさんいると思います。
でも、私が一番、神父さんの後頭部をみた時間の多い人間だと思います。
子どもが父親に連いて、山にいったり、一緒に仕事したり、
そんなでした。

だから、今、こうして東京にいますが、

神父さんはこういうとき、こうだったな・・ とか、
こうするだろうな・・ とか、


これは、息子みたいなものだと思います。

「今までどおりつづけなさい」

はい! 

です。

2008年
01月08日
20:56

またまた長文を書いてしまっています。
なにが書きたかったかというと・・

これでした。

シュトルム神父の作曲した「バイブルソングス」の、クリスマスに歌う歌をみてみていたら、

クリスマスは十字架とセットだったんだな・・
とあらためて感じられたからです。

こんなのです。

2008年
01月08日
21:29


「おさなご」(入祭)
イザイア 9ノ6

♪=132
※五線譜の三本目上と、四本目と五本目の間にフラットが書いてあります。
v(は、ブレス)
ひらがな=高音


れれどシラソ^ファ~  v
おさ な    ご   

レレレミファソソソ~ ソファソレ~ v
われらのた めに  うま  れ   

れれどシラソファ~ v
おの こ        

レレレミファソソソラソファソ^ソ~
われらにあ たえられたり

シシシどどシ^ラソ^ファ~ v
そのみ な   は

シ~ど~ど~~ v
て ん 主

どれ^どれ(れ^ど~シ)ラソファソレ~ v
へ   い わ      の き み

ミソソファミレド~
そのみ くにに


レミファソソファ~~  Fine.
おわりなからん   



ファソ・・・・・・・・・・・ラソファ~
     ・・・・・・・・・・ファソラファレ~ 
                       da capo

先)なんじら新たなるうたを 主にむかいてうたえ
皆)けだく主くしきわざを なし給いたればなり
先)ねがわくはちちと子と聖れいに さかえあらんことを
皆)はじめにありしごとく 今もいつも世々に至るまでアメン
                              


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