トクトル

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トクトルさんの日記

(Web全体に公開)

2009年
05月16日
14:32

三浦 綾子の人生

この間、群馬の地方に行き、ツツジの花や藤の花をみてきた。

ツツジは5月の花なのだが、5月のゴールデンウィークに見に行ったときには、結構かれている花も多く

あった、しかし、藤の花は、満開で、かれている様子もなくすばらしかった。

2つの花園を見たときに、生きるということについて、考えさせられた。

さて、今日は、主・イエス様に祈り私は、小説家の三浦 綾子さんの不思議な神の導きと救いについて書こう

とおもいました。

彼女は1922年~1999年生きた方で、結核、脊背カリエス、心臓発作、帯状疱疹、直腸癌、パーキンソン病

などの様々な病気にかかっている。

それなのに、彼女は、78歳という長寿で、神に感謝しながら死んでいきました。

まさに現代のヨブのような方でした。

彼女は、北海道旭川で生まれました。

家族は7男3女の家庭にうまれました。

貧しいながらも、幸せに暮らしていたようですが、妹の陽子を6歳でなくしている。

彼女は、とても内気な文学少女だったらしく、三浦綾子さんの命ある限りという本で、

自分に対してのこういうエピソードを紹介している。

それは、夫三浦光世の兄の案内で東京の目黒を訪れたとき、その夜、彼女は、浅草で、似顔絵を書いて

いる画家と会ったときのはなしです。

彼女は、似顔絵を書いてもらったとき、自分とはあまり似ていないドイツ人の美人のように書いてもら

った時、画家に思わぬことを指摘され驚いたといいます。

 あなたは、なかなか大人になりきれないんですね。まだどこかこどものままの部分があるんですよ。

フランス文学などを読みふけっている文学少女のように。

言われたのだそうです。

なぜ、フランス文学が好きだったと思ったのか?

また自分自身三浦さんは、幼さがあることを意識していたのですから、幼い心の三浦 綾子さんへの

主・イエス様からの教えであったのではないかと思います。

なぜならば、聖書を読む時にもっとも大事なこと、それは、子供のように、素直な気持ちで聖書を読むことだから

です。
ひとは大人になるにつれ、理屈ぽくなり、また、書いてあることをそのまま信じることが難しくなります。

神を恐れるものに救いは近いとは、罪を犯さないことでありますが、きっとだからこそ、三浦綾子さんを

新約聖書や旧約聖書の教えの注解を書くのに用いたのかもしれません。

 さて、彼女は、女学校を卒業し、その後旭川から3時間ほど離れた炭鉱の小学校の教師をする。

この頃は戦時中だったので、天皇を中心に物事を教えていた時代で、軍国主義であったため、学校の

先生という仕事をやめる。

当時、終戦の時に仕事をやめるということは、とても勇気のいることでした。

まだ雑炊一杯食べるのにも、必死だった頃、彼女は、正しい自己判断のできる方でした。

そんな彼女に、2人の婚約者ができた。

一人は美男子で一人は、病気がちだけども健康な人で、ふたりとも、熱心に結婚を綾子さんにもとめた

のだそうだ。

そして療養中の時の幼馴染のクリスチャンの前川 正との出会いと励まし、そして死、自殺未遂、など

の経験を通して、おなじクリスチャンの夫三浦 光世とであっている。

彼は営林局に勤めている堅実なかたで、将棋や英会話をよく楽しんでいたようです。

私が三浦綾子さんの人生をみると時にかんじたのは、主・イエスの不思議に三浦さんへの導きをひしひし

とかんじます。

三浦 綾子さんは、小説を書くことそれは、人を知ることだといってました。

大家族であり、戦時中であることから、様々なドラマが、自分の身近な家庭であったのではと思います。

そして妹の死、兄や弟との死や婚約者との3角関係や軍国主義時代の教師であったことなどが後の小説に幅広く反映

されています。

三浦さんが初めて賞をとった氷点。

この物語には、陽子という名の妹がでてきます。

この物語の要になる人物ですが、きっと三浦綾子さんは、失った妹のことがなければ、この要となる氷点は

かけなかったのではないかと思います。

それだけでなく、続く氷点の中の最後のシーン流氷の上に立つ陽子がキリストの十字架の血潮をみるような

感動を覚えたというシーンなどは、取材にいったときもし流氷がなければ、実現しなかっただろうとおもいます。

彼女は、父母の家から近い、新家に引越し、そして、旧家を宣教師の本拠地として与えたり、よく家出

した少女や少年達を家に住ませたりしてたそうです。

後にその宣教師の奥さんがイギリスの国語の教師で、小説の翻訳をしてくれました。

また夫の光世は、口述を筆記する能力に長けていて、また几帳面でした。

数多くの伝記が書けたのも三浦光世さんの日記が正確で、あったからこそ実現したのではとおもいます。

神の恵みと御守りは、それだけてではありませんでした。

彼女には、秘書がいたのですが、それも、気心のしれている人だったり、さいごの秘書は、八柳 洋子といいますが、

もと看護婦で、病気がちな綾子夫妻にとって、とても助かる神からの助けででした。

後に三浦綾子文化財団の理事にもなったかたです。

彼らの協力があって、小説家の三浦 綾子は、小説を書いていけました。

そして、それは、常に三浦さんを助ける神の杖であったのかも知れません。

なぜならば、彼女は日本キリスト教会の六条教会にの教会員であったとき、

新しい会堂を建てる時初め6000万かかると計画していたところ、9400万

なってしまった。

そのとき、三浦さんは、夢をみたといいます。

綾子よ綾子よ。

はい、ここにいます。

綾子は、六条教会に示された9400万の見積書をどうおもうか

あの9400万は私が示した教会への見積書である。

と言われたのだそうです。そして彼女は、出版者に借金をしてまで

して、お金を工面する。

三浦綾子さんが教会の為主・イエス様のために杖として働いたからこそ

主は、彼女の杖となる人々を与えてくださったのだとおもう。

伝記の命ある限りの題には、きっと三浦さんの神への信仰を表す伝記本だったの

ではないかと思う。

三浦さんには、病がありました。

最後は、パーキンソン病になり自分で動くことさえ困難だったかも知れません。

しかし、キリストの十字架があるから、病があってもロ8:28神を愛する人々

すなわち神のご計画に従って召された人々の為には、神がすべてのことを働かせて

益としてくださることを私は知っています。

と書かれているように、力を失わずに、最後まで命ある限り、主・イエス様の十字架

を述べ伝えられたのだと信じます。

聖書では、人の罪はとても自分の力では、返せないほど多いといいます。

しかし、主・イエス様の十字架を信じる人の罪はすべて神が廃棄してくださります。

人の病は消えずときもあろうとも、人の罪は十字架を信じたときから無くなります。
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