トクトル

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トクトルさんの日記

(Web全体に公開)

2009年
02月21日
12:37

誓ってはならないといわれたわけ

先日、私は、東京にある、百草園にいってきた。

 その日はとてもいい天気で、梅も満開でした。

百草園は、高いところにあるので、東京タワーや、新宿副都心

などが、みわたせる。
 
また、百草園は江戸時代からの名園で、松尾芭蕉、若山牧水な

どの句碑などもある。

彼らも、時に月夜でも見ながら、酒でも飲んでいたのであろうか?

 ふと思ってしまうのは、百草園には、お店が多々ありそこで、お酒やビールを買うひとの姿をみたからです。

 ちょうど、そんなさなか、中川前財務・金融相が酒なのか?

風薬なのかわかりませんが、酔ったように、くちのろれつが回

らず、辞任する事件がおきた。

 このような事件を起こしてしまったかも知れませんが、彼は

 いままで、経済産業大臣 、自民党政務調査会長、北朝鮮に

拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟会

長、の経歴があり、学歴も東京大学法学部政治学科 卒業 して

います。


 しかし、今回の事件で、彼に対する世間の見方は、180度変

わりました。

 飲んだくれで、無責任で、日本の恥をさらした人物として、

名をなせてしまった。

首相の任命責任も重いと…。

 今は酒の事件などよって中川さんのイメージは、かわったと

しても、今まで彼が、日本の国のために貢献した数々の彼の功

績が、消えるわけて゛もなく、この人は、もともと、酒が好き

だったそうです。

 お酒が好きな方でも、立派な人は多々あり、それだけで、そ

の人を、大食感の酒飲みだという方は、少ないとおもいます。


 しかし、もし、中川前財務・金融相の経歴を知らないひとた

ちが、


彼の本来の姿を知らない、アフリカや、アボリジニーのひとが

みたならば、あの人は、大食感の酒飲みであると判断してしま

うでしょう。

 今日は、私は主・イエス様に祈り誓ってはならないというこ

とについて書きたいとおもいます。

 主・イエス様は、聖書で、誓ってはならないという教えをな

されました。

(マタイ5:33~37)昔の人たちは、誓うというと必ず果たさ

なければならないと考えていました。

 そして、それは、一度誓ったのならば、神に誓ったのですか

ら絶対的なものです。

 旧約聖書の教えにあるものですが、良い誓いというものもあ

ります。


 まず旧約での誓いは、約束を果たし、意思を強めるという意

味での誓いです。


 しかし、新約聖書で、主・イエス様が今回誓ってはならないといっている誓いは、私は、先入観のことと関係があると諭されています。

 だから、中川財務・金融相のことをあげたのですが、これは、昔の哲学者は、よく研究してたようです。

演繹法というものがあり、これは、論理だけによって、物事を

推測する心の動きです。

 例えば、今では、地球は丸いと誰でも知っていますが当時の

方達にとって、地球は丸いものではありえませんでした。


これと同じように、黒人を白人が差別してしまうように人に

は、

歪んだ認識をみながもっているとそれを正しいとしてしまう傾

向があります。

 中川さんや内閣総理大臣である麻生首相が良い例です。

彼らの発言行動はよくなかったかも知れませんが、それによっ て人は、その人を悪いイメージでみてしまう傾向があります。

 世間では、政治家または、宗教家が酒飲みや、また発言に責

任をもたなかったり、すると非常識という認識があったりします

 しかし、誓ってその人たちが無責任な方なのかというなら

ば、それは違うのに、その人のことをよく調べないで、短絡的

に物事を判断するとしたならば、その人を人格を否定するよう

になるので注意が必要です。

 また今の世では、家のない方やニートと呼ばれる人を見下す

人もいますが、その人が好き勝手してそうなったのか?

一生懸命生きてきてのに、時代の不景気でそうなったのかによ


り、その人に対する見方を変えるひつようがあります。

 そうでないと、私たちは、間違った意味での裁きし、結果と

して、その人を見下してしまうのです。

ところで、主・イエス様は馬小屋で生まれ、子供のころにヘロデ

王から迫害を受け、十字架にかけられました。

 この事実だけみたならば、どうでしょうか?

神でない方が同じ人生をおくったら。

これが、誓ってはならない理由です。

聖書を読むと、旧約の時代から救い主が誕生することがかかれ

ていました。

そして、主が十字架にかかったのは、私たちの罪をあがなうた

めに、通常、罪びとがうける十字架の刑をうけてくださったの

です。

 今日は、主・イエス様から、私たちの世間の常識だけで人を

見てはならない、その人の人生をみてから判断しないと人を裁

くようになることを主から教わった。

 この問題は、神を恐れ、正しくいきるならば、主の十字架の

救いの知恵があたえられ、その人は、すくわれます。

人を見下すことはないでしょう。

主・イエス様の十字架は、いつも 私たちをあがなってくれます。
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