トクトル

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トクトルさんの日記

(Web全体に公開)

2008年
11月23日
22:53

心の貧しいものは幸いな訳は、

今日は、とてもいい天気でした。

私の家の近くの、池のある公園では、渡り鳥たちが、楽しそうに優雅に泳いだり

している。

金色のイチョウも、もうそろそろ散り始め、昼になると道路を黄金に染める。

私も主・イエス様に祈り常に主と供に天国への道を歩みたい。

全人類に、主・イエス様の祝福があり、一人でも多く方が罪を知り、そして主・イエス様

の十字架による救いを受けれるようにいのってます。

さて今日は、主・イエス様に祈り、山上の垂訓にある心の貧しいものは幸いである。

天国は、その人のものだからです。という教えについて、書こうとおもいます。

心貧しい貧しいと聞くと、人は、とても悲観的な表現のようにおもわれます。

しかし、貧しいとは、何もそういう意味だけではありません。

聖書には、黙示22:17 を見るとこうあります。

渇くものは、きなさい。命の水がほしいものは、それをただでうけなさいと・・。

またコリント第二8:2 苦しみのゆえに激しい試練の中にあっても、彼らの

満ちあふれる喜びはその極度の貧しさにかかわらず、あふれ出てその惜しみなく施す富と

なったのですと。

なぜ、心貧しくあることが天国と関係があるのかというならば、この世では、迫害があっ

たりまた主からの試練があったりすると聖書はいいます。

これは子を愛する親が、私達を鍛えるためでもありますが、心貧しくどんなときでも感謝

の気持ちをもつことが大事です。

また、人は、救いに預かったとか何か達成してしまうとそれ以上のものは、求めません。

コップに水がたくさんあるのに、それ以上そのコップ=器に私達は水=神の言葉を入れる

ことはできないでしょう。

主は、詩篇42:でダビテ゛が谷がわの流れをしたう鹿のように主・イエス様の御言葉を

愛してほしいので心貧しく歩むことを求めるのです。

そしてもう一つの理由は、罪です。

人の幸せや喜びには、何種類かの性質があります。

人に親切にしたり、愛したりする油っぽくねちねちしたものとは違う。

心清らかな喜びや、恋愛のように、誰かを傷つけてでもそれを得ることを願い。

また得られても、どんどん欲が沸くように、人にはむさぼりからくる欲望という喜びや愛

欲的な喜びとそうではなく、正しいことを求めたり誰かを守る為に生きたり御言葉を探求

し人々を幸せにすることを求める愛による喜びがあります。

キリストにはかえられません。

という聖歌の歌詞には世の宝や富よりも、私達はキリストを愛するんだという内容の歌が

あります。

世の快楽を捨てさり、神の愛による生活それが、心の貧しいものは幸いである天国は、そ

のひとのもだからという意味です。

時に人は悲しむこともあろうとも、その人は慰められると主・イエス様はいいます。

この世の悪をおこなうひとは、罪に捕らわれ、だましだまされ、苦しみに陥りますが、

主・イエス様に従うものは主の民が慰めてくれるといいます。

主・イエス様は私達のために十字架にかかられました。

それは、全人類に残念ながら罪があったからしかし、主・イエス様は、御自身はまったく

悪くはないのに、罪人の私達を見捨てはしませんでした。

それどころか、心貧しく、どんなことにも感謝し、常に主・イエス様の御言葉を求めるも

の為に私達のために黄金の天国という希望と喜びをあたえてくださいました。

そうです、信じるものは今ここで信じるならば、あなたは救われるのです。
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