トクトル

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トクトルさんの日記

(Web全体に公開)

2008年
10月04日
21:31

教会の秩序

今日は、とてもいい秋晴れでした。

私は、偶然今日、多摩動物公園に行きました。

そして、ライオンや、猿など見るうちに、気づいたことがありました。

それは、動物達には、上下の関係があり、ナワバリがあるということです。

一匹でいるもの、群れの真ん中にいるもの、また母親と一緒にいて離れないもの、

食べ物をどちらが食べるかで争うものなど、さまざまな、人の世界では、心の内で

おこり、目に見えない形で現れるのに対し、動物達は、子供のケンカのように、形として

みえます。

さて、今日は、主・イエス様に祈り、上下の関係について書こうとおもいます。

昔、釈迦は、弟子達の間で、長年弟子であった方と、他から来た人が言い争っているのを

みて、弟子になったのならば、年齢とか、修行の長さとか関係なしに弟子としては、新米

であるといいました。

だから、年上の方でも、教会に来たのが遅いものは、その教会では、教えに対しても、

仕事をするにしても長くいた方に仕える必要があります。

しかし、年下の信徒と年上の信徒の場合は、年下の方は、目上の人にテモテ第一5:1 年

寄りをしかってはいけません。むしろ父親に対するように勧めなさい。

年寄りの婦人達には母親に対するように、若い女達には、真のまじりけのない、心で、

姉妹に対するようにしなさい。

と聖書では、かかれています。

そして、主・イエス様は、聖書でこうもいいました。

しんがりになるものは、仕えるものとなりなさいと。

これらすべてについていえることは、敬虔なものとなりなさいということであるとおもい

ます。

年上の方であろうと、年下であろうと、まずは、人を敬い、尊敬することの大切さを覚え

ます。

しかし、上下の関係の中で一番この教えを守りづらいものは、だれでしょうか?

私は、職場でも教会でも、家庭でも、しかられる側の人一番年の下の人であるとおもいま
す。
だから上に立つものは、ただ、言い方が厳しいのではいけません。

教えたり、何か指導したりするとき、などは、厳しくてもよいかもしれませんが、

普段の時は、やさしく柔和になり、むしろ子供達に対しても謙遜であるべきです。

それだけでなく、アメとムチではありませんが、誉めるべき時には誉め、失敗に対しても

相手が反省しているようならば、決して長くしからない、なぜかというと、考えさせる

のはいいのですが、長すぎれば、相手は、精神分裂や、優柔不断になるからです。

聖書では、主・イエス様は、律法は思いやりであるともいいます。

だから聖書を読むことは、神の掟を守ることは、家庭の方や職場での人間関係

に役立ちます。

なぜならば、主・イエス様は、心を尽くし思いを尽くして、知性を尽くして

力を尽くしてあなたの神である主を愛せよとは、

主・イエス様の御心を、教えを求めて生きなさい。

という意味もあり、なぜそうしたいのかというならば、教会でも職場でも

主の平安と祝福が実現する為であります。

主の道は、平らであるとも聖書にはかかれています。

しかし、お互いがへりくだる前に、主・イエス様が、私達にへりくだってくださいました。

ヨ13で、主・イエス様は、弟子の足をあらい、心を清めさせました。

それは、すべての人は、上下の関係があろうとも皆愛すべき兄弟であるということを主は

おしえたかったのではとおもいます。
しかし、上記で書いたように何ごとにも、分別がひつようです。

主・イエス様は、私達のために十字架にかかられ時に、あざけり、中傷、ムチ打ち

つばきをかけられても、私達のためにへりくだられ、もつやくを拒み、私達の罪を担われ、

そして、私達の罪をゆるしてくださるように、頼んでくださいました。

主・イエス様は、互いの敵意を廃棄し、主・イエス様をしんじるものにもそうでない

もの為にも、今も必死にいのってくださっています。
「彼らの罪をお赦しくださいと。」

コメント

2008年
10月10日
14:39

1: rokoko

こんにちは。トクトルさんの日記を通し、イエス様が十字架に掛けられたことを思い出し、感動しました。そうですね。キリスト人とは、誰に対しても、へりくだくことが大切なんですね。

2008年
10月18日
20:55

こん晩は、rokokoさん、返事おくれてすいません。

主・イエス様の祝福が、rokokoさんにあるように、

いのってます。

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