ハレルヤ!!!神様の聖なる御名を崇めます。
過去において、今は霊的に燃え盛る炎が当たり一面を
覆っており、周りの方々が大変な状態に陥ってしまわれている
イメージが与えられたが
今も、大震災のような霊的な状況において、
周りの方々が、大変な状況に陥ってしまわれており
その対応に追われ、限界を感じている事は
昨日の日記にも記させて頂いた・・・・。
産みの苦しみのような、大変な苦しみが伴い、
否定的な事が頭を過ぎるよりは
何も考えないほうがよい状態に陥っている。
しかし、信徒として周りにおられる方々が倒れ、助けを求める場合は
どのような方であろうと、助ける事は不可欠の行為である。
心の葛藤があるにせよ、どれほど抵抗を感じていたとしても
神様は必ず周りの方々に私達を遣わされる・・・・。
相手の霊的な状態により
直接伝道とまではいかなくても、伝道につながる良き行為や
証でもって導くように必ず遣わされる・・・。
先に救われたものほど、その任務を負う責任があると思う・・・。
たとえ、ぎりぎりのタイミングで救われたとしても
主イエス様の十字架による贖いを受け入れた者は
永遠の命が与えられる・・・・。
この御計画は、人々の魂の救いを一番に願われておられる
神様の御思いである・・・・・。
先に救われた者ほど、伝道や伝道につながる良き行いや証を
周囲の方々に行うように導かれた上で
その方々が、信徒達の福音につながる祈りや行為に対して
どのように反応し、最終的にどの選択をするかは
各々の生き様にあらわされてくると思う・・・・・・。
神様に対して目を向けるのか、背中を向けるのかどうか・・・・。
その最終的な選択は、各々の判断に任せられると思う・・・・・。
長きに渡り、直接伝道に導かれた上で、信仰を否定すると
その責任は、否定した者の上により重くのしかかってくると思う。
信徒達は、そういう意味において最後の1コドラントを払うまで
信仰者としての責務を負う・・・・・。
敵にさえも、無関心や無神経という十字架に何度も磔にされても
これは、他者に対しての血の責任でもある厳しい責務であると思う・・・。
ここに霊的な悶絶を感じ、産みの苦しみにも似た苦悩を感じさせられる。
感情的には到底ついていけない世界である・・・。
でも、どれほど苦しくても
御霊様が必ずその事を成し遂げてくださる・・・・・。
そうでないと逃げ出してしまうほどの苦しみであると思う・・・・。
あとは、後になってその霊的な意味が理解できるように
なってくると思う・・・・。
苦しんでいる最中は、無我夢中で何がなんだか分からず
理解する、考えるというゆとりはまったくないから・・・・・。
ここに信徒達の苦悩があると思う。
この世界を前向き、肯定的なエネルギーに変えていくのは、
まだまだ遠いと自覚している・・・・。
主様にありて。
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